それは宴会を終えて解散し、寝静まった頃に始まった。その夜は避暑地とは思えないほど蒸し暑かった。

 

 宴会の続きを部屋でしていたが、仲間の一人が酒に酔って愚痴を言い出し、それが延々と続いた。呆れた雰囲気でお開きとなり、消灯しようとした矢先だった。
「おい、しっかりしろよ!俺は分かったぞ。そうだったんだ」
 一人が起き上がり、愚痴を言っていた仲間の上に伸し掛かった。そして拳で叩き出した。


「止めろよ!落ち着けよ」
 何人かで直ぐに止めに入ったが押さえ付けられないほど力が強かった。私は愚痴を聞かされて頭に来た一人が酔った勢いで喧嘩を始めたのかと思った。


「俺たちは生きて行けるのか?どうすればいいんだ。日本の将来はどうなるんだ!呼ぶぞ!呼ぶぞ!」


 彼は立ち上がり、興奮しながら部屋の外に出た。単に酒に酔って暴れている訳ではないようだった。


「先生の部屋に行こう!」
 そう叫ぶと彼は走って行った。叩かれた仲間は顔から血を流していた。私は他の仲間と直ぐに彼を追った。

 

 彼は部屋のドアを壊さんばかりに叩いていた。


「先生、俺たちどうすれば良いんですか?どうすれば生きて行けますか?」
 先生が部屋から出て来た。


「みんなこれからやって行けますか?貼られたレッテルどうしますか?終末がやって来ますよ、どうしますか?」
 彼は先生に質問をしたが、戸惑う先生が答える間もなく彼は話し続けた。


「先生、卒業させてくれますか?卒研が完成しなくても良いですか?このことをレポートにして下さい。先生がレポートを書いてくれれば日本は大丈夫です」

 

 次第に言葉は支離滅裂となり、愚痴を言っていた仲間のことや亡くなった肉親のこと、世界や自分の将来などを繰り返し叫ぶようになった。


 彼は真剣そのもので決して酔っておらず、額から汗を流しながら必死に答えを求めていた。ただ正常な顔付きではなかった。

 

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 彼はどちらかと言えば普段から大人しくて真面目な性格だった。彼は帰省先の実家から車で合宿に参加をしたが、道に迷ったようで彼が到着したのは夕方だった。

 

 その日の夕食後、一つの部屋に集まって酒を飲んだ。その途中から真面目な話題となって議論が始まった。彼はみんなの話に入れなかった。


「難しくて俺には分からないよ」
 と彼が私に言った。私も酒を飲んで議論するのが好きではなかった。

 

 私と彼は特別に仲が良かった訳ではないが、友人たちの中で彼にとって私は話し易い相手のようだった。


 彼は既に就職先が決まっていたし、卒業研究が特に遅れている訳でもなかった。ただ研究をどう進めたら良いのか迷っているようだった。

 

 翌朝、私が布団の中でぼんやりしていると彼が突然布団を跳ね上げた。


「なんで俺は起きちゃったんだろう」
 と彼は呟いた。


 彼が起きた後で私も起き上がり、熟睡している仲間の一人の顔にマジックで悪戯書きをした。彼はその途中で笑い出し、私が静かにするように合図を送っても笑いが止らなかった。


 その笑い方は大袈裟で今から思えば普通ではなかった。それから朝食の時間まで彼は一人で何かを考えていた。

 

 朝食後、みんなで車に乗り合って少し離れたテニスコートに向かった。私は彼の車に乗ったが、彼は前夜の会話に付いて行けなかったことを気にしていた。それに恋愛の悩みを相談された。


 昼食の時間になり、近くのレストランでみんな一緒にお昼を食べた。しかし彼が注文したのはレモン味のカキ氷だけだった。テニスの後なのに彼は食欲がないと言っていた。

 

 それから午後もテニスを続け、その後は夕食の時間まで遊びに行く者と、宿舎に戻る者とに分かれた。私と彼は宿舎に戻った。

 

 宿舎に帰ると私たちは入浴して汗を流し、食堂に集まってトランプなどで遊ぶことにした。しかし彼だけは部屋に残り、夕食の時間まで一人で横になっていた。

 

 夕食後、食堂で宴会が開かれた。やがて仲間の一人がギターを弾き、それに合わせてみんなで歌った。私には楽しい時間だった。彼もその中には居た筈だった。
 夜が更け、私は部屋に戻って仲間と宴会の続きをしたが、彼は酒を飲まずに先に布団に入っていた。仲間の一人がしつこい愚痴を言い始め、それが収まった直後に彼が暴発した。


 冷静に思い返せば、彼の合宿に来てからの行動は私が知る普段の彼とは違っていた。それが予兆だったのかも知れない。

 

 彼は愚痴を言っていた仲間を叩き、叫びながら先生の部屋に行った。そして大声で先生に質問をしたが会話は成立しなかった。そして騒ぎに気付いた宿舎の管理人がやって来た。

 

 彼は管理人から注意されると大声で謝ったが静かになることはなかった。管理人は彼の態度に怒り出し、直ぐに出て行けと言った。
 私は管理人が横暴に思えたが、頭を冷やした方が良いとも考えて彼を外に連れ出そうとした。しかし彼は暗闇を恐れて拒絶した。彼の抵抗する力は尋常ではなかった。


 仕方がないので両脇を固め、暴れる彼を先生の部屋に入れた。彼は先生や他の誰かが話し掛けても何も受け答えができなくなっていた。

 彼が単なる酔っ払いではなく正気を失っているのは誰から見ても明らかだった。みんなは心配をしながらも戸惑って周囲で見ているだけだった。
 しばらく私が彼を宥めることにして、それでダメなら救急車を呼ぶことにした。私は彼が怖くなかったし、不思議と理解し合える気がしていた。

 当時の私は卒業研究とは別に夢や精神や宗教の研究をしていて、心の病にも多少の知識があった。彼の状態をオカルト的に解釈すれば悪霊に憑依されたとでも言うのだろう。


 しかし、病的には統合失調症の症状だった。私は正気に戻してやりたいと思った。

 

 私は彼を座らせて自分も横に座ると世界の終焉について自説を話した。すると彼は反応し、ノストラダムスの予言など世紀末的なことを次から次に質問して来た。
 彼は自分が知りたいことには聞く耳を持っていた。

 私は彼の質問に自分の世界観や宗教観で答えた。やがて質問が就職や恋愛のことに変わり、次第に彼は落ち着きを取り戻した。

 

「ねえ、みんなで考えよう。みんなを呼んでみんなで考えよう」
 と彼が言った。


「ああ、明日になったらみんなで考えようよ」
 と私が応えた。


「分かった。ごめんね。ごめんね、みんな」
 いつもの彼に戻った訳ではないが、もう暴れたり叫んだりする気配はなかった。

 彼は一人で立ち上がり、先生の部屋を出た。殴られた仲間も何も言わなかった。
 
 先生と話して翌朝まで彼の様子を見ることにして全員が各部屋に戻った。彼はトイレに寄ってから部屋に戻り、仲間が布団に入ったことを確認して彼が消灯した。
 私は明日になれば元の彼に戻っていると信じていた。しかし一度壊れた心は簡単に修復などしなかった。


 朝を迎え、私が目を覚ますと彼は着替えを済ませ静かに荷造りをしていた。きっと私たちを起こさないように気を遣っていたのだろう。私は布団から出ずに寝た振りをしていた。

 彼は荷物を時間を掛けてゆっくりとバックに詰め込んでいた。そして収まりが悪いのかバックから荷物を何度も出したり入れ直したりしていた。やがて荷造りを終えたようだった。
「俺は分かったぞ」
 彼はそう言って部屋を出た。


「俺は分かったぞ!」
 同じ言葉を大声で叫び、彼は廊下を走り出した。が、直ぐに自分から走るのを止めた。


「みなさん、起こしてすみませんでした」
 と言う彼の声が聞こえた。

 

 私が布団から起き出して部屋を出ると、彼は先生の所に向かったようだった。


「ご迷惑を掛けてすみませんでした」
「うん。分かれば良いよ」
「とても恥ずかしいです」
 彼は先生の部屋の前で謝っていた。先生は受け止めるだけで彼を注意したり責めたりしなかった。


 気が済んだ彼は先生の部屋の前から離れた。

 

「おはよう」
 私は彼に声を掛けた。


「おはよう」
 彼が私に応えた。


 彼は余り眠れなかったのか目が充血し顔色も悪かった。そして私は彼と一緒にトイレに行った。トイレには彼が殴ってしまった相手もいた。


「夕べはごめん」
「もう良いよ。気にするなよ」
 謝罪も応答も決して嫌味な感じではなかった。これで収まってくれれば良かった。


「俺は気にするよ!」
 彼の形相が変わった。

 

 彼は掴み掛かって相手のメガネを手にするとフレームを握り壊してしまった。そして彼はポケットから車の鍵を出すと床に叩き付けた。


「そうだ。この鍵のせいだ」
 彼は次第に興奮状態となり、私は慌てて隣に並び彼の肩を抱いた。彼は両親のことを繰り返し口にするようになった。

 

 異変に気付いてみんなが起きて集まって来た。管理人も来て再び彼を注意したが今度は彼が反抗して口論となった。
 彼は今にも飛び掛りそうで私は必死に彼を押さえた。
「お前なんか客じゃない。早く出て行け!」
「出て行くよ!」
 管理人に反発した彼は、私を振り切って裸足で外に飛び出した。

 私たちも直ぐに彼を追った。彼は駐車場の奥で倒れ、他の仲間に取り押さえられていた。

 

 彼に近付くとオウムのように幾つかの単語を繰り返し呟いていた。立たせようとすると抵抗し、砂利の上を転がり回って身体が傷だらけになって行った。
 そして彼は手に取った砂利を口に入れ、頬張って食べ出してしまった。

 仲間が目の前で壊れて行く。私は悲しくて仕方がなかった。
「止めろ!」
 私は彼の顔を平手で叩いた。


 私が彼の目をしっかり見ると彼は虚ろな目で私を見返した。それから彼は抵抗をしなくなった。
 彼は不思議と私の言葉には耳を傾けたが、もう心を開くことはなかった。

 

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 先生と私を含めた何人かで彼を近くの病院に連れて行くことにした。ワンボックスの車が一台あり、彼を囲みながら後部座席に乗った。


 彼は目を開いたまま無反応な状態だったが、対向車や歩いている人を目にすると反応して声を上げた。特に赤の車に対しては異常だった。

 小さな病院に着き、まだ診療開始には早かったが彼と一緒に診察室に入った。彼は医師から名前を聞かれても自分が誰だか答えられなかった。私は昨夜からの彼の症状を医師に説明した。


 医師は彼の腕に注射を打ち、専門科での受診を勧めた。待合室で紹介状や会計を待っていると彼は次第に正気を取り戻した。しかし、暴れたり騒いだことを全く覚えていなかった。

 

 一度宿舎に戻ると事態を理解した管理人は私たちに非礼を詫びて食事を準備してくれた。私たちは先生と遅い朝食を食べながら今後の方針を話し合った。
 そして全員で紹介を受けた病院に行き、その後はみんなで彼を実家まで送り届けようと決めた。


「大学生活の良い記念になるよ」
 と誰かが言った。


 彼は少しづつ昨夜から今朝に掛けてのことを思い出し、みんなに反省の言葉を伝えた。もう殴った相手や管理人を見ても興奮することはなかった。薬の効果かも知れないが彼はすっかり正気に戻っていた。

 

 宿舎を出る際に彼は自分で車を運転すると言い張った。しかし宥められて車を仲間に任せ、彼は再びワンボックスの後部座席に乗った。私は車で参加をしていたので自分一人で運転することになった。

 

 私が彼と一緒ではないので不安を口にする者もいたが、私の車の保険は家族限定だったし、もし彼が再発したら運転しながら彼の相手をできる訳もなかった。

 先頭は先生の車で私は彼の乗るワンボックスの直ぐ後ろに付き、何台かが連なって紹介された総合病院まで一時間ぐらい車を走らせた。その病院では診察に先生が付き添って私たちは待合室で待機した。

 

 戻って来た彼は精神科を受診したことにショックを受けていた。そして自分からは全く喋らなくなっていた。先生が彼の実家に電話で連絡をしたが、家族は状況がよく理解できないようだった。

 

 病院を後にして、私たちは再び車を連ねて彼の実家を目指した。その途中に休憩を取ったが、彼の様子はそれまでと全く違った。二つ目の病院を出る時には落ち込んでいたが、彼は口数が多く、明るく元気になっていた。

 夕方になり、私たちは彼の実家のある町に入った。彼を家族の元に届ければ長かった一日も終わる。しかし彼の明るさが気になった。するとワンボックスが停車した。

 

 道路の脇に車を停めてワンボックスのドアを開けると彼が車内で暴れていた。意味のない言葉を叫び、周囲に唾を吐き掛け、私が声を掛けても目を合わせることができなくなっていた。
 人通りのある道だったので騒ぎは目立ち、直ぐに交番の警官も来たが彼を取り押さえることはできなかった。救急車が呼ばれ、救急隊が彼の家族に連絡をして家族が掛かり付けている病院に運ばれた。

 病院に着き、彼は両脇を救急隊に捕まれて診察室に入った。私も彼の症状を医師に説明するために診察室に通された。しばらくすると奥から年配の医師が現れた。
「おい、久し振りだな。さっき、お母さんから電話があったよ。どうした?」
 医師は親しそうに彼に言った。


 彼は救急隊の腕を払って自分から医師の傍に歩み寄った。
 バチン、と鈍い音が診察室に響いた。

 

 彼は医師の顔を思い切り平手で叩いてしまった。医師の顔は見る間に紅潮した。
「ダメだダメだ。狂っている。他に連れて行ってくれ!」
 医師は激高して吐き捨てるように言うと奥に引っ込んでしまった。


 救急隊の一人が奥に行ったが取り合って貰えないようだった。彼は診察も治療も受けず診察室の外に出された。私は心神喪失の相手を感情のままに拒絶した医師に強い憤りを感じた。

 

 私は自分の車をその病院の駐車場に停め、今度は私も救急車に乗り込んで違う病院まで付き添った。もう私には彼に掛ける言葉はなかったが彼は私に暴力を振るわなかった。

 

 救急車が着いた先は精神科の専門病院だった。救急車から降ろすと手馴れた職員が可動式のベットに彼の身体を固定して直ぐに病棟の奥に連れて行った。彼は虚ろな顔で何かを呟いていた。それが彼を見た最後になった。

 

 その病院はコンクリートの高い塀に囲まれ、今日訪れた他のどの病院とも建物の造りが違った。それに独特の雰囲気がした。しばらくして私は仲間の車に乗って自分の車を取りに行った。


 私が自分の車で病院に戻った頃には既に夜となっていた。彼は薬を打たれて病室で眠っているらしかった。

 

 先生は家族に病院が変わったことを知らせたようが、まだ誰も来ていなかった。家族は病院を変えられたことに憤っているようだった。
「なぜこんなことになったのか?」
 後のことは先生に任せ、私たちは先生から労いの言葉を掛けられて病院で解散した。

 

 私を含めてみんなが疲れていた。途中で何度か休憩を取ったが誰も多くを語らなかった。私たちは仲間を守ろうとして守り切れず、人間の弱さや脆さを知った。忘れたくても忘れられない一日となった。

 

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 私はその数年前に別の友人を排気ガス自殺で失っていた。その友人が死を選ぶ数日前に友人に誘われてドライブをしたが、その時には自殺を考えている素振りなど全くなかった。


 私は同じことが繰り返されないことを願った。


 夏休み明けの先生の話では、彼の母親は彼の病気を認めなかったようだ。合宿から戻った息子が傷だらけで入院をしているのだから、私たちは感謝をされるどころか加害者のように思われたかも知れない。

 

 しかし彼は退院後に母親の目の前で病気を再発して再入院をし、ようやく母親も彼の病気を認めたらしかった。そして彼はそのまま休学した。


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