ぼくとコピーの関係は進展して行ったが、ぼくは彼女をコピーとしてしか見ていなかったかも知れない。ぼくは相変わらず幻影を追っていた。
十月後半の良く晴れた週末にぼくが川堰でセイリングをしていると、いつものようにコピーが様子を見に来た。もう絵は描き上がっていて、その日は特に何も持っていないようだった。
堤防に腰を下ろし、頬杖を突いてセイリングを眺めていた。そしてぼくが川から上がると、彼女も立ち上がり学園祭のチラシを渡してくれた。
「私の絵、見に来てくれませんか」
少し照れながらコピーがそう言った。
「見に行っても良いのなら喜んで」
ぼくたちは時間を決め、彼女の絵の前で待合せることにした。その日は抜けるような真っ青な空だったが、風はもう冷たくなり始めていた。
その頃の職場では、人事絡みの噂も飛び交っていた。その中に同じ職場のぼくの同期が昇格すると言う話しがあった。
その彼とは新人の時から同じ部に配属され、親しい仲ではあったが仕事上のライバルでもあった。その彼がどうやらぼくより先に昇格するらしかった。
「やっぱりな」と思うと同時に、
「なんでぼくじゃないんだ」と悔しさ込み上げて来た。
資格的には多少ぼくの方が勝っていたが、信頼感で言えばぼくから見ても彼の方が兼ね備えていた。
その噂を耳にした夜、ぼくは残業をしていた。
職場に残っていたのは他に数人で、その中の一人の先輩が飲みに行こうと提案し、ぼくたちは夜遅くから飲み始めた。
その夜は終電で家に帰った。
飲みながらに先輩に「お前はダメだ」と言われたことが悔しくて、どうにも頭から離れなかった。自分は同期のアイツと比べて本当にダメなのか、何がダメなのか、何度も何度も自問自答した。自信は消し飛んでいた。
代用品の恋愛で満足し、仕事でも認められない。ただ生きることさえ、その時には苦痛に思えた。なんとも遣り切れず、誰かに縋りたかった。
石川啄木の『一握の砂』の歌が思い浮んだ。ぼくは誰に花を買い、誰と親しめば良いのだろう?コピーの顔が思い浮かんだ。
ぼくは自分からコピーに電話を掛けた。
十一月最初の日曜日がコピーとの待合せ日だった。学園祭の最終日で校内は盛り上がっていた。ぼくは約束より大分前に到着し、一人で幾つかの教室を見て歩き、講堂で少しコンサートを聴いたりして時間を潰した。
川で約束した待合せの時間は午後3時だった。ベンチに座り空を見上げた。陽が傾き出して空を端から鮮やかな朱色に染めていた。
ぼくはゆっくりと腰を上げ、少し外れの校舎に入り、待合せの教室に足を進めた。
教室には幾つもの絵画が展示されていたが、彼女の作品は直ぐに分かった。
三つ展示されていて、その中の一番大きな作品がウインドサーフィンを描写したものだった。荒々しい大胆な色使いで迫力があり、見ている者を惹き付ける素晴らしい絵だった。
しかし、ぼくは悲しくてまともに見れなかった。ぼくは彼女の他の作品を見た後で、もう一度ウインドサーフィンの絵の前で立ち止まり、絵を描いていた彼女を思い出しながら、今度はずっとずっと長く絵を眺めた。
待合せをする筈だった彼女はもういなかった。もう何処にも・・・。