手紙を出した後、その返事を待たず、ぼくは待ち切れずに電話を掛けた。電話は繋がらなかったが、暫くして折り返し彼女から電話が掛かって来た。

 

「どうしたんですか?」
「ああ、近い内にまた会えないかなって、思って」
「じゃあ、私から連絡しますよ」
「・・・もう、会えないのなら、それはそれで構わないよ」
「ちゃんと連絡しますよ」
「分かった。それなら待ってる」
 それが彼女と話した最後の会話だった。

 

 今から思えば、ぼくはその後でひたすら彼女から連絡を待つべきだったのかも知れない。しかし、ぼくは待つことができなかった。その頃のぼくは、きっと壊れていたのだと思う。


 ただ連絡がないと言うだけで、捨てられたような、見放されたような、そんな何とも寂しい気持ちにさせられた。

 

 ぼくは日記を付けるように毎日絵ハガキを作って彼女に送り続けた。強烈なデザインに過激な文章を書いた絵ハガキで、冷静に考えれば行き過ぎなのだろうが、その頃のぼくには「落ち着け!」と唱える余裕すらなかった。悪循環となるだけの完全な空回り。だけど、一度回り始めたら止めることなんてできない。

 そして、そんなことをしている一方で、ぼくは裕子と頻繁に会っていた。もっとも、会うと言うよりもぼくが彼女がアルバイトをしていたパン屋さんに押し掛けて話しをしていた。

 

 夏休みに入ると何かと理由を付けて毎日のようにパン屋さんに寄って裕子と話し、家に帰ると真っ先に郵便受を開け、彼女からの返事が届いていないかを確認した。しかし、幾ら待っても一向に返事は電話やメールでもなかった。

 終戦記念日のことだった。ぼくの夏休み最後の一日で、朝からとても暑い一日だった。

 

 ぼくは昼過ぎまでプールで泳いでから裕子のアルバイト先に行き、軽くお昼を食べて家に戻った。そして今日こそはと期待をしながら郵便受を開けた。しかし、何も来ていなかった。ぼくは苛々しながらベットに横たわり、お気に入りのCDを聴いて気を紛らわしていた。

 暫くして、庭で犬が吠え出した。外に目を向けると自転車に乗ったアルバイトらしい郵便配達が来ている。ぼくは外に出てポストを開けた。

 一枚の絵ハガキが届いていた。彼女からだった。

 

≪ 赤木さま

 

 ハガキを何枚もいただいて、何といってよいかよく分かりません。

 

 ただ、私の為にそんなに貴重な時間を裂かないで欲しいと思ったので、このハガキを書いています。私は貴殿が思ってる程、価値のある女でもないし、そう思われることは窮屈です。

 

 私は赤木さんの才能に今だもって惚れていますが、男として見てはいないし、これからもありません。尊敬する人をそういう風に見ることはできません。

 

 ごめんなさい。
                           木原 ≫

 

 読んだ後で力が抜けた。こういう結末の予感はしていた。ぼくが急ぎ過ぎて自爆をした感じでもあった。

 

 絵ハガキの「ごめんなさい」の前に、塗り潰された一文があった。ぼくはその一文が気になった。ぼくは消しゴムで擦ったり、水を付けたり、日差しに透かしたりした。しかし、その塗り潰された一文に何が書いてあるのかは分からなかった。

 

 ベットに横になってCDの続きを聴いた。暫くして、もう一度その塗り潰された一文を読み取ろうとした。しかし、結果は同じだった。ぼくはその一文に微かな期待をしていた。ハガキはすっかり滲んでしまい、ぼくはそれを見詰めて悲しくなった。

 

 終わったと思った。

 

 ベットの脇には彼女から送られた二人の写真が飾ってあった。その木枠を手に取り、写真を抜き出して手に取った。彼女の顔を見た。彼女は笑っていた。その写真を机の引き出しの奥に片付けた。

 洗面所に行って顔を洗った。居間で転がっていた両親に意味もなく話し掛けた。下らない話しをしたり、猫をかまったりした。なかなか時間が過ぎなかった。

 

 部屋に戻った。結局は独りだった。

 

 彼女は、ぼくの初めての理解者になってくれる筈だった。それもぼくの独り善がりだった。ベットの上で計り知れない脱力感を噛み締めていると、部屋を母親が訪ねて来た。母親はひどく興奮していて、涙を流していた。

 ぼくと同い年で母親のパート先の同僚で、よく夕飯を食べに来ていた弟のようなぼくの友だち、その彼が亡くなったらしい。

 

 彼は数日前から会社を無断欠勤し、会社の寮にも居なかった。今日、河原にあった車の中で発見された。

 

 母親が部屋の前から去った後、少し思考が回らなかった。前夜に録画したドラマの再放送を再生すると、青春の悲しさと儚さを歌った森田童子の曲が流れていた。彼女の曲を聴いていたら涙が零れそうになった。


「よりにもよって・・・」ぼくは再生を止めて外に出た。

 

 ジーパンの後ろポケットに煙草とライターを詰め、庭に置いてあった自転車に跨った。西日が眩しかった。ぼくは家の近くの河原に向かった。河原に吹く風には秋の気配があった。

 

 川の付近には車が並び、家族連れがバーベキューの片付けをしていた。犬の散歩をする婦人が横を通り過ぎる。子供たちは広場でサッカーをしている。堰の上では若い男女やグループが夕涼みをしながら楽しんでいる。

 

 そんな中で数人の警官と物見の人たちがいる場所があって、そこにはぼくの友人の車があった。まだ何かを丁寧に調べているようだったが、ぼくには彼の死因が理解できた。

 

 ぼくは防波堤沿いの道を端まで進んで引き返すと缶コーヒーを買って石段に腰を降ろした。石段の反対側には二人の女の子が何も話さずに座っていた。横顔が悲しそうだった。ぼくもあんな顔をしているのだろうかと思った。

 

 ぼくは一年振りぐらいに煙草に火を付けた。味気なかった。山並みに夕陽が沈み、山影が川原を段々と覆って行った。

 

 彼にドライブに誘われた時、ぼくが気を利かして彼に貸しを作っていたら、彼はこんなに早く命を絶っていなかったと思う。ぼくに借りを作らず、解決に繋がる選択もせず、逝ってしまった彼の気持ちは他人事ではなかった。
 ぼくは曖昧なまま忘れ去って何もなかったフリをして生きて行くのか、破滅に向うと分かっていても突き進んで行くのか。

 

 狂気は特別な所だけにある訳ではなく、ごくありふれた場所でも日常の歯車が狂えば地の底から湧き上がる。ぼくの母親は彼が逝ったことが悲しくて泣いていたのだろう。だけどぼくは、彼が先に逝ってしまったことが悲しかった。

 

 煙草を吸いながら色々と迷った末、ぼくは家に帰って手紙を書いた。それでこのアンバランスな関係の全てを終わりにするつもりだった。

 

≪ 親愛なる木原里美様へ

 

 暑い日が続いていますがお元気ですか。仕事は相変らず忙しくて大変ですか。体調など崩していませんか。ぼくの方は毎日遊びまくっています。この前会った時以上に真っ黒に日焼けしているから、道ですれ違っても分からないかも知れません。

 

 同じ講習で二日間、二人で会ったのが二回、電話で話したのが二回、メッセ-ジが一つ、手紙が一通、ハガキが一枚。

 

 ぼくが知っている木原さんは、たったのそれだけ。

 

 だけど、気が付いたらぼくは木原さんを好きになっていた。好きになった切っ掛けとか理由なんてどうでもいい。好きになったことは紛れもなく事実なんだ。

 

 七月の終わりに手紙を書いて、八月の初めに電話を掛けた。それは凄く不安だったから。

 

 電話での木原さんの返事は「忙しいから・・」だった。

 

 そして必ず連絡をするからとぼくに言ってくれた。ぼくは日記を書いて木原さんに一週間送り続けた。それは自分を少しでも知って貰いたかったから。だけど投函した後に、あんなこと書くんじゃなかったと後悔したこともあった。

 ぼくは木原さんからの連絡を待った。手段は何でも良かった。電話でも、メールでも、手紙でも。


 そして今日、ハガキを受け取りました。

 

 ぼくは尊敬なんかされるよりも一人の男として見て欲しかった。

 でも、だめなんだね・・・。

 

 ぼくは今でも木原さんのことが好きだよ。本音を言えば、こうして手紙を書きながらも、この瞬間に、キミから連絡がないかと祈っている。

 

 そうしたらこんな文書は直ぐにも消去してしまうのに・・・。

 悔しいけど、もう降参するべきなんだろうね。でも、キミと知り合えて本当に良かったと思っている。

 

 ありがとう、さようなら・・・ ≫

  

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