八月最後の日曜日、英会話学校の子どもたちの引率を頼まれてぼくはバスを貸切っての遠足に参加した。目的地は遊園地で、25名ぐらいの子供に対して大人はぼくを入れて8名で、しかも日本人の男性はぼくだけだった。
バスの中はクリスマス前の玩具売場のように騒がしく、とても自分が遊ぶ時間はないと思ったが、着いてみると予想外に手間が掛からなかった。最近の子どもとは言え、やはり甘えられる相手とでもなく見知らぬ所に来ると急に威勢が落ちるらしかった。
他のアシスタントと交代で子どもの面倒を見て、それなりに乗り物やプールで遊ぶことができた。しかし遠足のホスト役だった裕子は責任感が強く、本部を設営した場所を殆ど離れなかった。ぼくはその僅かな合間に裕子を表に誘い出した。
プールで少し泳ぎ、それから幾つか乗り物に乗った。裕子の水着姿を見るのはそれが初めてだった。長いウォーター・スライダーを滑ると身体がバラバラになってしまうのではと心配するほどキャシャな身体だったが、泳ぎはぼくよりも上手かった。
そして二人でジェットコースターに乗った後で、この夏で、裕子が英会話学校を辞めることを聞いた。中堅の英会話学校の職員として採用されるらしかった。
秋から定職に就けるように裕子が就職活動をしていたのは知っていたし、それを励ましていたのも偽りではなく事実だった。
だけど今まで身近にいた存在が何処か手の届かない所に行ってしまうようで、ぼくは素直に喜べなかった。
「そうか・・・。おめでとう」
「ありがとう」
「そうだ。就職祝い、何かあげないとね」
「別に、いいよ・・・」
「そう言うなよ。裕子には世話になったから、気持ちだけだよ」
「それは私の方だよ。色々とお世話になっちゃって・・・」
「何か寂しくなるね。でも、裕子なら向こうでも直ぐ馴染めるさ」
「赤木さん、いつも優しいんだね」
「えっ・・・」
「本当にありがとうございました」
普段はぼくに丁寧な言葉なんて使わない彼女だった。その台詞を聞いた時、ぼくは初めて自分にとっての彼女の存在を問い質した。
自分の中で裕子の位置付けは変わり始めていた。しかし、気付いた時にはもう遅過ぎた。
裕子の送別会でのことだった。名残惜しく会も終わり花束贈呈と記念撮影だけが残されていた。
アシスタント仲間から花束が贈られ、続いてぼくがメッセージを添えた花束を渡した。他人行儀と言うか畏まった光景が可笑しく、別れを惜しむという雰囲気ではなかった。そしてそのまま裕子を取り囲んで記念撮影になった。
≪裕子さんへ
アシスタント、お疲れさまでした。この半年は楽しいことばかりではなかっただろうし、辛いことも多かったと思う。でも、イベントでリーダーシップを取ったり、子供の面倒を見ていた裕子はとても素敵だった。
本当に輝いて見えました。ホスト役として最後のイベントだった遠足では殆ど遊べなくて残念だったね。
最後にお世話になり、本当にありがとうございました。≫
裕子のアシスタント仲間の一人が窓から見える車の明かりに気が付いた。その車は駐車場に入らず、道の端に停車していた。
「ごめんなさい。ちょっと・・・」
そう言って裕子が慌てて外に出て行った。車の窓越しに見えたのは男性の姿だった。戻って来た裕子は深々と頭を下げ、別れの言葉を残して再び外に出ると、そのまま車に乗り込んで去って行った。
「やっぱり付き合いはじめたのかなぁ」
車を見送った後、そのアシスタントが呟いた。
「私は裕子さんと赤木さんって結構良い線かと思ってたんですけど」
と別の女性が割り込んだ。
「赤木さんはだめよ!」
「どうして」
「だって、肝心な時にいつも裕子と距離を置いてたもの。まるで妹扱いで相手にされないって漏らしてたから」
言われた通りだった。
ぼくは今まで自分の都合の良いように裕子と接していた。もし、あの手紙が来なかったら違う展開だったかも知れないが、これはこれで良かったんだと思った。