九月に入ってからだった。会社の帰り、電車のドアに凭れていた。電車が停まり、反対側のドアから大勢の人が乗り込んで来た。

 

 その乗り込んで来た中に、会いたい人の顔を見付けた。
「木原さん?」
 一瞬、声を上げそうになった。しかし、彼女がこんな所に居る筈もなかった。ぼくは見間違いだと思い、混み合った車内でどうにか女性の顔を確認すると、良く似ているが、やはり人違いだった。

 

 さり気なくその顔を眺めている内、その女性と目が合ってしまった。その女性はぼくの顔をじっと見詰めた。ぼくは息が止まった。慌ててぼくが目を外した。


 その時、ぼくはその女性を密かに自分の中でコピーと名付けた。

 

 コピーはぼくと同じ駅で降り、駐輪場からも自転車で一緒だった。別に尾行をするつもりではなかったが、ぼくはコピーの後ろを自転車で走った。
 そして大通りを越えた途中の分かれ道でコピーはぼくの行くべき方向とは違う方に走って行った。

 

 ぼくの帰り道とはルートが少しズレていたが、振られた相手にどこか雰囲気が似ているコピーの後を自転車で追っていた。コピーの電動自転車のペースは速く、何か生き急いでいるような感じもした。

 

「影を追い掛けるなんて、何をしているんだろう」と心で呟いてルートを変えようと思った時だった。


 コピーの自転車が急ブレーキを掛けて不自然に止まった。


 ぼくが近付くと、彼女の自転車はチェーンが外れていた。ゴム紐のようなものが後輪に絡まっている。
 
 その時のぼくには躊躇などなかった。


「手伝いましょうか?」
「えっ、でも道具がないと・・・」
 ぼくは応急修理の道具を自転車のサドルの下から取り出した。


「ぼくも前に同じような目に遭ったから」
 そう言って工具を出して見せた。


「用意が良いんですね」
 コピーが笑った。

 

「そう言えば、川の堤防で絵を描いていませんでした?」
「えっ?」
「川でウインドサーフィンをしているので」
「あっ、あの場に居たんですか?」
「この前、麦藁帽子を飛ばされたのを見掛けました」
「そうですか。学祭に向けてちょっと絵を描いていて・・・」
 コピーは美術大学の4年生だった。

 

 次の週末、彼女と川の堤防で待合せた。彼女はボードのセッティングを手伝ってくれながら、絵の参考になるからと一つ一つのパーツの形を確認していた。

 

 猿ケ島と呼ばれる川堰の上は、水門の空いている一部を除いて流れがない。知る人ぞ知るウインドサーフィンのゲレンデだった。


 彼女は絵の続きを描き始め、ぼくはボードを水に浮かべた。

 

 程良い南風を受けたセールはボードを走らせた。水中を切っていたボードが浮き上がりプレーニングとなる。水面上を跳ねて進む。最高の快感だった。

 

 それからウインドサーフィン以外でも会うようになり、交際を重ねながら秋は深まって行った。

 ぼくたちはレストランで食事を取っていた。


「赤木さんって、卒業旅行はどうしました?」
「う~ん、旅行と言うより、北海道と長野で友達とスキー漬けだったかな」
「ほんと、スポーツ好きなんですね」
「卒業旅行、何か考えてるの?」
「ええ、ロスに行って夜景を見たい。それにグランドキャニオンも」
 彼女が目をキラキラさせて呟いた。

 

 コピーは4年生だけど、何か理由があるようで就職活動はしていないようだった。

 

 二人の間の連絡は大抵コピーの方からで、ぼくは受け身に回っていた。全然連絡がなくて不安定になり、ぼくから連絡を取りたくなる時もあった。でも、焦ってはダメだと思った。それは身に染みている。

 

 今度は失敗しない。ぼくは手紙だけでなく、電話もメールも控えた。

  

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