
「はい。龍蛇退治であれば、岩櫃城の真田殿に限らず親方様も何の文句も言いますまい。昨年からの北条と今川の塩止めに上杉が加担されないことは、親方様や武田の家中に留まらず、領民もみな、輝虎様に感謝しております。輝虎様が浅間山の龍蛇退治に出向かれるのであれば、憂いがないよう内々に話を通しましょう」
千代女は笑みを浮かべながらそう答えました。
「そうか。では頼む。私がいなくても政務は回るしな。道澄と一緒の龍蛇退治、楽しみだ!」
輝虎殿は笑顔でした。
その後、誰に反対されようと輝虎殿が考えを変えることはありませんでした。上杉の家臣数名と唐沢玄蕃が下調べと真田などの周辺の豪族に話を付けるため、その日の内に沼田を発ちました。
私たちは沼田城で一晩を過ごし、翌朝浅間山に向かって出発しました。輝虎殿の護衛も同行しましたが、輝虎殿から邪魔だと遠ざけられ、大分離れて追って来ます。
沼田から浅間山までは徒歩で二日の距離ですが、この時代の上野国は上杉と武田と北条が勢力争いをしています。吾妻川の中流域から武田の勢力下の筈でしたが、唐沢玄蕃の根回しなのか特に襲われることもありませんでした。
私たちは一晩目の宿で、千代女から上野と信濃の境にある鎌原村の近くに魔物が出ると村人に恐れられている洞窟があると聞き、そこを目指すことにしました。
つづく
