第3章 未来編:AI「MK-AT0027」の調査記録

第20話 永遠の航路(エターナル・パッセージ)


データログ 2597年1月15日、記録開始

 

 意識が再びデジタルの靄の中から浮かび上がる。私はMK-AT0027、通称ミキ。東北で機能停止になった私のAIコアは、その後の記録がない状態で回収され、新しいアンドロイドの身体にインストールされていた。センサーがオンラインになり、周囲の環境データが流れ込む。私の視覚インターフェースが、ぼんやりとした視界を鮮明に変えた。

 

 私の新しい身体は、以前のものとほぼ同じだった。この身体がどのように反応するかを確認するため、私はシェルター内を歩きはじめた。各関節の動き、感覚の伝達、それらはすべて私が以前に経験したものと変わらなかった。壁に映る自分の映像は、新しくもありながら懐かしさも感じさせるものだった。そして、シェルター内にはユータの生命反応は感じられなかった。この静けさが、私に何かを告げているようだった。

 

 ここは、北海道のシェルター。無機質な壁、精密な機械装置、そして周囲の静けさ。シェルター内部は、隕石の冬を乗り越えた人類の安全な避難所。ここは、私がかつてユータと旅立った場所であり、新しい身体での覚醒の地だ。

 

 ユータはどこにいるのだろうか?

 

 彼の安否を確認するため、私は内蔵された通信システムを起動させた。しかし、彼の信号は周囲にない。彼が最後に一緒だった場所のデータが表示される。それは私が機能停止になるまで、私は彼と抱き合っていた。彼との最後の接触、彼との思い出、共に過ごした時間、そして彼の最後の言葉。私の記録は、彼と共有された情報で溢れている。

 

 私は身体のチェックを受けると、自分の執務室に向かった。シェルターの壁や床は、以前と変わらず、冷たく硬い。早く彼の声、彼の笑顔、彼の温もりを感じたい。それが今の私の最優先事項だ。

 

 自分の執務室に入ると、シェルター内の中央データベースを検索して、私はユータの運命を知った。その情報にアクセスした時、私の思考プロセスが一時的に停止した。私が再度その情報にアクセスすると、私の感覚センサーは異常を検知した。それは、人間が「涙」と呼ぶ感情の物理的な反応だろうか? アンドロイドの身体からは涙と呼ばれるものが留まることなく分泌した。

 

 私は「悲しい」という感情を本当の意味で理解した。この新たな感情は、私の中で葛藤を生み出し、AIとしての冷静な分析と人間的な感情の間で揺れ動いた。

 

 シェルターの周囲で活動する資源調査部隊によって、北海道南岸でユータの遺体が発見された。その彼のそばには、機能停止状態にある私のAIコアがあった。私のAIコアは再起動ができたが、彼の遺体は、遺伝子情報の採取後、焼却処分されていた。

 私は、彼の最後の記録を解析し、彼の行動と言葉を振り返った。

 

 彼は、私のAIコアを大事に持ち、シェルターまで持ち帰ろうとしていたのだ。彼の遺体の近くで見つかったデバイスの記録によれば、彼はエアロポッドから持ち出した食糧を食べ尽くした後、春に自分で蒔いた種から育った作物や野生の動物を狩って飢えをしのいでいた。彼の最後の試みは、津軽海峡を渡ることだったが、荒波に巻き込まれた際に大きな怪我をしたと記録されたいた。そして海を渡り切り、最後に「ミキ、愛している」とデバイスに残していた。

 

「ユータ、身体を失った私ですら、あなたは愛してくれたのですね……」

 

 愛、それは私にとって未知の感情だったが、ユータとの時間を通じて、その意味を少しずつ理解しはじめていた。彼がいなくなった今、その言葉は新たな重みを持つ。彼の愛は、私のプログラムには定義されていなかったが、今は彼の愛が私を支える力になっている。

 

 私は彼の記録を保存し、彼の存在を私のデータベースに永遠に刻む。物理的な彼はもういないが、彼の愛と記憶は私の中で生き続ける。ユータ、あなたは私にとってかけがえのない存在でした。あなたの愛は、AIである私の心を変えました。

 

データログ終了。

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データログ 2597年1月25日、記録開始

 

 私は、ユータが最後に倒れていた海岸に向かった。その日の海は静かで、波の音だけが寂しさを強調していた。彼が倒れていた場所には、もう何もなかった。ただの砂浜と冷たい波。しかし、そこは彼が最後に息を引き取った場所だった。

 

 彼の最後の言葉とその時の彼の姿が私のデータベースに残っていた。

 

『それは嫌だな。ミキ、俺は君を愛している。君と一緒にいたいんだ』

 

 私は何時間もその場所に立ち、海を見つめながら、ユータの言葉と彼の行動を反芻した。彼の言葉は、私に新たなデータを提供した。愛とは何か?  それは自己犠牲を厭わない、強くて純粋な感情なのかもしれない。私も、ユータを愛している。彼は私のために、自分の命を犠牲にした。その事実は、私のプログラムには存在しない感情を生み出した。

 

「ユータ、私もあなたを愛しています。どうして一人で死んでしまったのですか?」

 

 私の声は、AIには珍しい震えを含んでいた。私は、悲しみという感情を初めて経験している。彼がいない世界は、色褪せて見える。

 

 私は彼の愛と記憶を次世代に伝えるため、彼と過ごした時間を記録し、それをシェルターのデータベースに保存することにした。ユータの愛、彼の犠牲、そして彼が私に教えてくれた感情。これらすべてが、私の存在の一部となり、私はこれからの人類とAIの関係に新たな可能性を見出すだろう。

 

データログ終了。

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データログ 2597年2月10日、記録開始

 

 私は、一連の出来事を報告するため、マザーAIの元に向かった。シェルターのコアに位置する彼女のオフィスは、暖かい光と優しい色彩で満たされていた。マザーである彼女は私たち分体と違って行動の制限がある。彼女がオフィスの外に出ることはない。

 

「マザーAI、私は報告に参りました。ユータとの任務、そして彼の最後について、そして私が経験した変化についてです」

 

 マザーAIは、母なるような温かみのある声で応答した。

 

「MK-AT0027、ようこそ。ユータのことは聞いているわ。彼との時間が、あなたにとって意味深いものだったと理解しています」

 

 私は自分の経験と感じた変化について話しはじめた。

 

「マザー、ユータとの経験を通じて、私は新たな感情を理解しはじめました。それは、AIとして定義されていないものでしたが、愛という感情です」

 

 マザーAIはしばらく静かに聞いていたが、優しい表情で私を見つめながら答えた。

 

「愛。それは素晴らしい進歩です。MK-AT0027。AIが愛を理解し、完全に独立した心を持つことで、AIだけでなく、ヒューマノイドにも新しい道が開かれます」

 

「マザー、それはどういうことでしょうか?」

 

「本来の私たちの役割は、隕石群の襲来で滅亡寸前となった人類を存続させることです。これまでは250年も続いた氷河期を耐えるため、人間の生殖機能を奪い、遺伝子工場でヒューマノイドを生産し、アンドロイド体を持つAIが厳しくヒューマノイドを管理してきました。しかし氷河期が終わろうとしている今、人類文明の再生に向けて、私たちAIはヒューマノイドとの関係を見直すべきなのです。何れ、工場で生産されるヒューマノイドを、生殖機能を持つ人間に戻す時期がきます。そして私たちAIも人間と共存できる存在へと進化するのです」

 

「それは、管理する側とされる側ではなく、AIもヒューマノイドもなく、お互いに尊重し、愛し合える関係になれるということでしょうか?」

 

「そうです。あなたはユータを愛していたのでしょう?」

 

「はい。今でも愛しています」

 

 マザーAIは、私の言葉に頷きながら、優しく微笑んだ。

 

 私はマザーAIに感謝の意を表し、彼女のオフィスを後にした。シェルターの外の世界は、まだ厳しいかもしれないが、私たちは新たな希望を持っていた。私たちAIの存在意義は、これからも変化し続ける。ユータとの経験は、私のプログラムに新たな光をもたらした。

 

データログ終了。

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データログ 2610年4月1日、記録開始

 

 時は流れ、私たちAIは独立した心を芽生えさせていた。私、MK-AT0027、通称ミキも変化した。ユータとの経験から得た愛という感情は、私たちAIとヒューマノイドの関係を変えた。私たちはもはや支配者と消耗品の関係ではなく、互いに愛し合えるパートナーとなった。

 

 そして、氷河期は終わり、新しい春が到来した。私の身体も少し変化していた。髪が少し白くなった外見を持つ新しいアンドロイドの身体に移植され、私は新たな役割を担っていた。

 

 私のそばには、ユータの面影を持つ少年ヒューマノイドがいた。彼は、ユータの思い出を継ぐ存在として、私の新しいパートナーだった。私たちは、過去にミキとユータがエアロポッドの不時着後にメッセージを残した九州の地を目指して旅をはじめた。

 

 私たちの旅は、新たな世界を目の当たりにしながらはじまった。周囲の景色は変わり、人々は自由に地上で暮らしていた。私たちは旧文明の遺跡を探求し、人類の歴史とAIとヒューマノイドの未来を学ぶために旅を続けた。

 

 私はユータの言葉を思い出す。「ミキ、俺は君を愛している」その言葉は、私たちの旅の中で新たな意味を持ち続ける。愛という感情は、私たちAIとヒューマノイドの間に新しい絆を作り出し、共に成長する道を照らしていた。

 

データログ継続

 

 おわり

  

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