第2章 過去編:千々石ミゲルの日記

第9話 試練を乗り越える信仰と絆


1596年9月

 

 夢の中で、賑やかなローマの街を歩いていた。マンショ、ジュリアン、マルティノと共に市民権を得た喜びで胸がいっぱいだ。先を歩いていた彼らが振り返り、私に何かを伝えようとしている。しかし何を言っているのか聞こえない。私は彼らに近づこうとするが、足元がおぼつかなかった。その瞬間、突如として強い眩暈に襲われ、目の前が真っ暗になる。何か大切なものを失いそうな不安に心が震えた。

 次の瞬間、私は現実に引き戻された。大地が怒りを露わにし、神々しき力が全てを揺るがす。こんなにも現実が夢よりも過酷な場面に直面していると感じた。

 

「何事だろう……地震?」

 

 うとうととしていた意識が一気に冴え渡る。教会内部が激しく揺れ、祭壇の装飾が倒れ、聖母マリアの像も床に落ちた。弟子たちは慌てて起き上がり、それぞれ何とか安全な場所へと逃げた。

 

「落ち着け! 火の始末には気をつけろ! 余震があるかもしれないぞ!」

 

 私は急いで弟子たちに命じた。

 

 私が教会の扉を開けると、遠くの方で炎が猛威を振るっていた。空は赤く染まっていて、まるで終末を告げるかのようだった。

 

「主よ、これが私たちに与えられた試練なのでしょうか……」

 

 翌朝、教会内部の被害状況を確認すると、怪我人は何人かいたものの、ありがたいことに亡くなった者は出なかった。祭壇や家具は倒れているが、建物自体の被害も小さい。心の中で一安心すると同時に、ふと、私はいつも教会に出入りをしているたまが心配になった。彼女は京で南蛮貿易を手掛けている商人の娘だが、この災害をどう乗り越えているのだろうか?

 

 しばらくすると、無事だった何人かの信者が教会に集まり、私たちは教会の復旧活動に取り掛かる。まず祭壇の復旧と礼拝所の修理を行い、それから散らかった家具や家財の片付けを開始した。弟子たちは私の指示に従い、落ちた装飾品を拾い上げ、壊れた部分を修理していく。

 

 私が司祭様の机を片付けていると、奥から書状が見つかった。それは増田長盛様から司祭様への文書で、何やらフランシスコ会の布教活動に関する言及があった。イエズス会に、なぜフランシスコ会の事が書かれているのか、一瞬疑問に思ったが、今はその謎を解くよりも他に優先すべき事がある。これは後でじっくりと考えるべき問題だ。何れ司祭様に訊ねてみようと思う。

 

 その日の昼過ぎだった。たまが、顔を真っ黒にして大きな荷物を抱えて教会に現れた。

 

「たま、大丈夫か? 家族は無事か?」

 

「ミゲル様、大丈夫です。私の家は被害が少なくて、家族も無事です。父から教会の様子を見て来るように言われ、お手伝いすることがあればと、持てるだけの食糧を持って、やって参りました」

 

「そうか、この大変な時に駆けつけてくれてありがとう。ほら、これで顔を拭きなさい。せっかくの綺麗な顔が真っ黒に汚れていますよ」

 

 私はたまに手拭を渡しました。

 

「えっ、本当ですか……。恥ずかしい。途中で、焼け出された人を助けたので、その時に汚れたんだと思います」

 

 たまの黒く汚れた顔が赤くなった。

 

「たま、それであれば、何も恥ずかしがることはありませんよ。事情も知らず、申し訳ありませんでした」

 

「いえいえ、ミゲル様、謝らないでください……。ここに来るまで、火事だけでなく、多くの家が潰れていました。聞いた話では、秀吉様の伏見城も天守が壊れ、多くの方が亡くなったそうです。この教会の被害はどうでしたか?」

 

「怪我人は出ましたが、幸い亡くなった方はいません。それに教会の建物に多少の被害はありましたが、直ぐに復旧できると思います」

 

「それは良かったです。ここに来るまで、本当に心配でした。きっと神様が守ってくれたのですね」

 

「はい。主が教会と私たちを守ってくださいました」

 

 私がそう答えると、たまは明るい笑顔を見せた。

 

 教会の復旧活動には時間がかからなかった。近隣の住民も手を貸してくれた。町が一丸となって復旧活動を行っていた。破却された南蛮寺の跡地に建てられた修道院からも安否の連絡があり、京における活動拠点の被害状況が確認できた。

 

 数日後、教会はほぼ元の状態に戻り、私たちは教会を避難所として提供することにした。家を失っている人たちへの炊き出しも行った。たまの父など商人をしている信者から食糧の提供があり、それをみんなで分け合うことにした。たまは毎日教会に来て、救護活動や炊き出しの手伝いをしてくれる。彼女の実家でも市中の援助を積極的に行っているらしい。

 

 大きな災害に遭遇して助け合う際は、キリスト教も仏教も神道も関係ないと思う。この出来事は私に多くのことを教えてくれた。人々がどれだけ助け合い、協力し合えるか。そして、神の前では人間がいかに無力であるかを。

 

「主よ、私たちに苦難に立ち向かえる力をお与えください。そして、この町が一日でも早く立ち直れますように。アーメン」

 

 私とたまは、復旧作業を終えたばかりの祭壇の前で、共に祈りを捧げた。この困難な状況を乗り越え、更なる困難にも立ち向かえるように。

  

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