第1章:ある夏の河口湖

1.7 夜明け前の鵜の島


 あの夢の世界に戻ると私は同じ部屋の布団の中にいました。まだ外は暗いままですが、襲われた時から少しだけ時間が経っているようです。

 

 外から声が聞こえて来ました。おじいさんと別の男性の声です。

 

 私は直ぐに姿を見せず、二人の会話を部屋の中で聞きました。この家は深夜に鬼のような二人に襲われ、少女とおばあさんは鵜の島に連れて行かれたようです。

 

「鬼というのは化け狸の仲間に違いない。何か言っていませんでしたか?」

 

「二人を助けたいのであれば、鵜の島に来て、武田から伝わる全財産を差し出せ。そう言っていました」

 

「やはりそうですか。あなたが持っている山の権利書が必要でしょう。私がそれを持って鵜の島に行き、化け狸と交渉して二人を帰して貰って来ましょう」

 

「ご先祖から代々受け継いで来た大切な山ですが、二人の命には代えられません。こうなれば従うしかない。宮司様にお任せ致します。どうか二人を助けて下さい」

 

「任せて下さい。おじいさんはここで待っていて下さい」

 

 おじいさんの会話の相手は駆け付けて来た宮司のようでした。

 

「ちょっと待って下さい」

 私はそう言って姿を現しました。

 

「あなたは……、ご無事だったのですね」

 

「ええ。すみません。気絶していました」

 私はおじいさんにそう答え、

「鵜の島に渡られるのであれば、私も一緒に行かせて下さい」

 と続けました。

 

 

「誰です? あなた」

 

「孫娘とお付き合いをされている方です。昨夜は泊まっておられたのです」

 おじいさんが宮司にそう答えました。

 

 私は『お付き合い』が微妙に違う気がしましたが否定しませんでした。

 

「まぁ、いいでしょう」

 宮司は嫌な顔を私に向けながら渋々と承諾しました。

 

 私は「武田から伝わる全財産」という言葉が引っ掛かりました。そして、ある伝説を連想しました。

 

 河口湖に関わる幾つもの伝説の中に、武田信玄の埋蔵金があります。

 

 戦国時代、信玄の甥で織田信長への寝返りにより領土を安堵された穴山梅雪は、富士山麓にあった複数の金山から砂金や金塊を運び出す指示を出していました。しかし、梅雪が家康に随行して信長への領土安堵のお礼をした後に本能寺の変が起きました。梅雪は本能寺の変後の混乱で畿内を脱出できず、落ち武者狩りに襲われて命を落としました。

 

 その知らせが黄金の運搬中だった一隊にも知らされ、黄金の一部を河口湖に沈めたという伝説があります。そして黄金は分けて隠され、一部は山中に隠され、一部は見つかったとも言われています。

 

 私は、カチカチ山の狸の祟りではなく、黄金への欲でこの家族が襲われたのではと考えました。

 

 おじいさんが土地の権利書を取りに行った後、宮司が私に近付いて来ました。

 

「あなたが同行するのは勝手ですが、あなたの命の保障はできませんよ」

 

「ええ、結構です」

 私は宮司にそう答えました。

 

 

 私と宮司はボートに乗って河口湖を渡りました。鵜の島は小さな無人島ですが、古い小さな桟橋があり、そこにボートを接岸して島に上陸をしました。

 

 私たちは湖岸の鳥居をくぐり、木が茂った先に進みました。すると何かの気配がありました。

 

「山の権利書、持って来ましたよ」

 宮司が声を出しました。

 

「意外に早かったな。んんっ!」

「お前は、さっきはどこへ消えた!」

 

 声の主は私を襲った者たちでした。 

 

「おや? 誰だい? 娘の男が助けにでも来たのかい?」

 奥から女性の声がしました。

 

「そのようです。それで二人はどこです」

 宮司がそう答えました。

 

「目と耳を塞いで奥で縛ってあるよ。あんたのことがバレたらヤバイだろ」

 鬼の一人が言いました。

 

「はい。バレたら二人を生きて連れ帰ることはできませんから。ですが、少しは察して下さいよ」

 宮司は鬼に困ったように言葉を返しました。

 

「やはりグルだったのか?」

 私は宮司に訊ねました。

 

「グル? 私はこのお方にお仕えしているに過ぎません」

 私の隣にいた宮司が鬼たちの方に進んで行きます。

 

 

「これで、あなたをこのまま帰すことが難しくなってしまいました」

 宮司は振り返り、私に冷たく言いました。

 

 私は彼らの後ろに、艶やかで禍々しい装束の美しい女性の姿を見ました。奥にいる女性は、この鵜の島に祀られている弁天様だと思いました。鵜の島の弁天様は、嫉妬深く、美人に災いをもたらすと調べた情報にありました。

 

「カチカチ山の狸の祟りは讒言だな! 嫉妬から災いを招いていたのか」

 私は怒りを覚えました。

 

「はい、そうです。このお方の気に入らない女性は目障りなのです。弁天様の悪い噂が立っては困ります」

 宮司は平然と答えました。

 

「あの爺がもっと前に山を寄進して他所に引っ越してしまえば、娘や婿も孫も嫁も、こんな目には遭わなかったものを」

 鬼の一人が宮司に続いて言いました。

 

「山の権利を手に入れる狙いは武田の埋蔵金ですか?」

 私は怒りを抑えて更に訊ねました。 

 

「お前、何故知っている? 武田の者か?」

「やはりこいつは生かして置けない」

 今度は鬼たちが怒り出しました。

 

「頼元、貞信、少し静かに」

 奥の弁天様らしき女性が声を出しました。

 

「はっ。申し訳ありません」

 鬼たちは畏まりました。

 

 

「私は武田の者ではありません。ただ、埋蔵金の位置を記した書付のことは多少知っています。そしてお名前から察するに頼元殿、貞信殿のことも…」

 

「そうですか。知久頼元と貞信はこの島に幽閉されて殺されました。が、今は私に仕えてくれています。鵜の島の先に沈んだ黄金は私の物。そして山に隠された埋蔵金も私の物になるべきです」

 その女性は私にそう応えました。

 

「おじいさんは埋蔵金のことを知っているのですか?」

 

「誰が教えるものか! 苦労に苦労をして、やっと穴山梅雪の書付を手に入れたんだ。他の者になど話すものか!」

 私が訊ねると、冷静だった宮司が鬼の形相でそう答えました。

 

「欲に眩んで無関係な家族を不幸にしたのですか?」

 

「欲に眩んで何が悪い。人の世とはそういうものであろう」 

 私に答えたのは後ろにいる弁天様と思える女性でした。

 

「そうではないと思います」

 

「なんだと」

 

「欲があっても、我慢もせず、他者のことも考えず、人を憎み、人を呪えば、最早それは人ではなく鬼です。そうした世界は人の世ではなく地獄です」

 私は女性に反論しました。

 

 

「何が鬼だ。何が地獄だ。調子に乗るな!」

「直ぐに殺してしまおう」

 鬼たちは怒り出しました。

 

「まあ待て、この男は面白い。私が貰おう。お前も殺されるぐらいならば、私に飼われた方が幸せだろう」

 

「お断りします」

 

「断るだと」

 

「私を認めて頂いたのは光栄です。しかし、あなたに飼われるつもりはありません」

 私は静かに言い返しました。

 

「それならば仕方がない」

 女性はそう言うと、小さく手を振って鬼たちに合図を送りました。

 

 鬼たちが私に襲い掛かって来ます。しかし、これは想定の範疇です。私は両手の拳を合わせて鬼を斬る刀をイメージしました。すると光が放たれその中から一振りの日本刀が現れました。

 私は眠る前に幾つかの対抗手段を考えましたが、その一つが鬼を斬る刀です。

 

 平安時代の中頃、京の都で若い女性が次々と姿を消す事件が起きました。それを安倍晴明が占って大江山に棲む鬼たちの仕業だと分かりました。そこで、当時の武門の雄、源頼光が討伐に向かい、鬼の首魁である酒呑童子の首を『童子切安綱』という刀で刎ねたと言われています。その鬼を斬り、邪気を祓えるという日本刀を調べ、イメージできるようにしてありました。

 

 

 私は鞘から刀を抜くと鬼たちよりも速く動き、一瞬の内に鬼を次々に斬り倒しました。斬られた鬼は倒れると消えてなくなりました。

 

 宮司は怯えてその場で腰を抜かしています。

 

「あなたも斬らなければいけない」

 私は宮司を睨みました。

 

「私は唆されたんだ。もう武田の埋蔵金なんてどうでもいい。だから助けてくれ」

 宮司はそう言いながら後退ります。

 

 私は首を振り、宮司に向かって刀を振り切りました。そして、宮司は天を仰ぐように倒れました。ただ、その身体には出血も傷跡もありません。私が斬ったのは宮司の欲だけです。

 

「神代三剣にも次ぐ刀を振るうとは、なかなかやりますね。こちらの負けです」

 女性は驚いた様子も怖がった様子もなく、笑顔でした。

 

「負けを認めてどうされるのですか?」

 

「もうここに執着はありません。またどこかでお会いしましょう」

 不敵な笑みを残し、女性の姿は闇の中に消えて行きました。

 

 私は縛られている少女とおばあさんを助け出し、気絶している宮司を起こしました。宮司はとても怯えていて、脂汗を掻き、震え続けていましたが、邪気は抜けたようでした。

 

 

 船で河口湖を渡り、私は少女とおばあさんを連れておじいさんが待つ家に戻りました。そして数々の災いは、カチカチ山の狸の祟りが原因ではなく、武田の埋蔵金に欲が眩んだ鬼たちの仕業だと話しました。

 

 鵜の島に祀られている弁天様は、古事記や日本書紀に登場する豊玉姫です。河口湖の伝説では、島から離れた産屋で出産した際に大なまずの正体を夫に見られ、夫と子を残して島に渡って籠ったと伝わっています。そして、鬼の姿をした頼元と貞信は、諏訪大社の系図に連なる知久氏で、戦国時代に武田信玄に破れて鵜の島に幽閉され、処刑された人物だったと思います。

 

 朝日が富士山の向こう側から上がって来ます。

 

「本当にありがとうございました」

 少女は笑顔でした。

 

「どう致しまして。これでもう祟りを気にする必要はないよ」

 私は少女に応えました。

 

「それなら、もう私の所為であなたに災いは起きないんですね」

 

「ああ。そうだよ」

 私がそう答えた時、朝日が目に差し込んで来ました。

 

『眩しい』

 

 ホテルのベットで目が覚めました。カーテンの閉め方が中途半端で朝日が差し込んでいました。結局、少女の名前は分かりませんでした。

 

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