第4章:諏訪で感じる春の訪れ

4.2 上野での別れと相模での目覚め


  浅間山の洞窟での龍蛇との対決は、三増の時のように餓鬼悪霊との戦いもないまま龍蛇が退く形で終わりました。ただ見せ場がなかった輝虎様は不満そうでした。

 私たちは鎌原村に戻り、そこで千代女さんと別れることになりました。

 

「千代女さん、あなたとの旅は楽しかったです。お世話になりました」

 

「道澄様、御礼を言うのはこちらです。ぜひ祢津村にも一度お越し下さい。その際には歓迎致します」

 

「ええ。巫女村には興味があります。機会があれば伺わせて頂きます」

 

「輝虎様、今後はよしなにお願い致します。またお伺いさせて頂きます」

 

「ああ。越後の旨い酒を飲ませてやる」

 

「千代女さん、洞窟までありがとうございました」

 

「いいんですよ。本音を言えば、龍蛇に操られていなくても、コノハを親方様の元に連れて行きたい。だけど、五摂家筆頭の近衛家の道澄様を敵に回せば、親方様の立場がなくなるしね。コノハ、あんたが羨ましいよ。じゃあね」

 千代女さんが私に笑顔で応えてくれました。

 

 別れの挨拶を終えると千代女さんと唐沢玄蕃を残し、私たちは吾妻川沿いの街道を合流する利根川に向かって歩き出しました。

 

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 その日の夜、私たちは川原湯温泉で一泊しました。元の世界では、川原湯温泉は八ッ場ダムの建設で湖の中に水没しています。噴火によって地に埋もれた村もあれば、人間の都合で水に沈んだ村もある。私はとても不思議な因縁を感じました。その夜は輝虎様もお酒を飲まず、道澄様と一緒にいる時間を大切にされているようでした。

 

 翌日、私たちは吾妻川と利根川の合流点にある上杉方の白井城で輝虎様と別れることになりました。道澄さんは輝虎様と二人で私や二郎さんから離れた所に歩いて行きました。きっと別れを惜しんでいるのだと思います。その輝虎様が夢を見ているセオリさんなのかは分かりませんが、私は二人が羨ましいと思いました。

 

 暫くして道澄さんと輝虎様が戻って来ました。

 

「コノハ、達者でな」

 

「はい。輝虎様もお元気で。ありがとうございました」

 

 私たちは別れの挨拶を交わして白井城を後にしました。輝虎様の顔はどこか寂しそうでした。

 

 それから私たちは4日を掛けてアキの家まで戻りました。その間に立ち寄った寺社で、道澄さんは住職や神主さんの相談に乗り、何通もの書状を毎晩のように書かれていました。その姿は私には聖人のようにも見えました。

 

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 夕暮れ時に見慣れた屋敷に着くと、家の中にはアイの隣に元気なアキの姿がありました。

 

「コノハ、お帰り」

 

「アキ、ただいま」

 

 その晩、私たちは道澄さんも含めて夕食を頂きました。

 

「蛇神の退治はどなたがしたんですか?」

 アイが訊ねて来ました。

 

「実は道澄様が水神切りの刀を借りようとされたら、持ち主の上杉輝虎様が加勢をしてくれたんです」

 二郎さんが興奮気味に答えました。

 

「えっ、上杉輝虎様? じゃあ、輝虎様が蛇神を退治されたんですね」

 

「いえ、それが違うんです。道澄様が蛇神と話をされると、蛇神がアキ様の呪いを解いてくれたんです」

 二郎さんがアイに答えの続きを言いました。

 

「道澄様、この度は私のためにありがとうございました」

 アイと二郎の会話にアキが続きました。

 

「いえ、当然です。元は私が頼んだ三増の餓鬼悪霊を祓うため、アキさんに協力して頂いたことが原因ですから。本当に目覚めることができて良かったです」

 道澄さんは笑顔で応えました。

 

「アキ、眠っている間はどんな夢を見た?」

 私はアキに訊ねました。

 

「それがコノハになった夢だった。細かいことは忘れてしまったけれど、雪山をスキーという道具で滑ったのは楽しかった」

 

「アキはこっちとあっち、どっちがイイ?」

 

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「あっちも楽しかったけど、こっちかな。コノハは?」

 

「私はこっちも楽しくなって来たけれど、元の世界に戻りたい」

 

「そうだね。早く戻れると良いね」

 アキは私に優しく返してくれました。

 

「コノハさん、明日は日金沢の鏡の泉に一緒に行ってみませんか?」

 道澄さんがそう言って来ました。

 

 その夜は、アキが見た夢の話や私が道澄さんと旅した出来事を、時が経つのも忘れて今この瞬間を惜しむように語り合いました。

 

 翌朝、私は道澄さんやアキと日金沢の鏡の泉まで来ました。

 

「道澄さん、もしかしたらこれで最後ですか?」

 

「ええ。きっとそうなると思います」

 

「そうですか」

 私はとても複雑な気持ちでした。

 

「コノハ、あなたが来てくれて本当に良かった。ありがとう」

 

「アキ、私もあなたに会えて良かった」

 

 私たちは泣きながら別れの挨拶をしました。

 

「道澄さん、今までありがとうございました。とても尊敬しています」

 

「それはとても光栄です」

 道澄さんは笑顔でした。

 

 私はその笑顔がとても切なく、とても憎いと思いました。そう思ったら私は道澄さんに抱き付いていました。

 

「道澄さんは狡いです。私も輝虎様に負けないぐらい好きになってしまいました」

 

 道澄さんは何も応えず、黙って私を胸で受け止めてくれました。

 

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 私は鏡の泉の前で腰を屈め、水面を覗き込みました。最初は私の姿がぼんやり映っていましたが、それが別の誰かの姿に変わりました。そして私が手を伸ばすと映った手に掴まれて泉の先に引かれました。

 

 私が気付くとそこには河口湖で会った男性が手を引いていてくれていました。そこにはアキも道澄さんもいません。

 

「鎌原村ではごめん。でも、上手く行ったようで良かった」

 

「こっちに来てくれていたんですね。鎌原村では朝になったら元の道澄さんになっていてビックリしましたよ」

 

「必要なことは道澄と共有したから彼の方が私より上手くやるんじゃないかと思った」

 

「そうですね。あれからの道澄さんは凄かったですよ」

 そう言って私が笑うと彼も笑いました。

 

「コノハさん!」

 遠くから私を呼ぶ先生の声がしました。

 

「じゃあ、私は行くね。コノハさんがここまで無事に戻れて良かった。次は川場の朝食会場かな?」

 彼はそう言って去って行きました。

 

 先生や同級生たちが私に近寄って来ました。

 

「コノハ、急に姿が見えなくなったから心配したよ」

 

「ごめんなさい。ちょっと旅をしていました」

 私は先輩にそう答えました。

 

 夕日が目に差し込んで来ます。私は心地良い眩しさを感じました。

 

 

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