第2章 僕が過ごした彼女との時間

第8話改 僕が迎えた不思議なトキ(1)


 吹雪の中で目に入った山小屋は、登山シーズンに利用されるものらしい。冬にも避難ができるように、鍵はかかっていなかった。適切な服装で風を凌げれば、凍死のリスクは低くなる。

 扉を開けてみると、家具も電気もなかったが、隅に置かれた収納ボックスに非常用の備蓄が残されていた。そしてボックスの上には古びたノートと使い古しのボールペンがあった。それは過去の山小屋の利用者たちの記録だった。

 

「これで何とか吹雪を凌げるね。雪姫、僕のウェアは問題ないけど、キミはその服装で大丈夫だった?」

 

「ありがとう、心配してくれて。私は大丈夫だよ。この服装で寒くないよ。寒そうに見えるかもしれないけど、特別だから、寒さを感じないの」

 

(普通の着物にしか見えないが、インナーが特別な素材なのだろうか? それとも彼女自身が特別なのだろうか?)

 

 その山小屋には一カ所だけ小さなガラス窓があり、僕はそこから外の様子を眺めた。吹雪は続きそうで、日も暮れかけていた。

 

「みんなが心配しているかも......。スマホ、繋がるかな?」

 

 スマホを確認すると、辛うじてアンテナが一本立っていてバッテリーも残っている。

 

「雪姫、先にこれで家族に連絡してもいいよ。お母さんが心配してるかもしれない。この吹雪で、明日のイベントはわからないけど……」

 

「ううん、私は大丈夫。アキラが使って……」

 

 スマホを雪姫に渡そうとすると、彼女は首を振って断った。

 

 僕は旅館に状況を伝える電話をした。旅館の若女将はとても心配していたが、山小屋のことを知っているようだった。ここは数年前に山の管理組合が建てた、まだ新しい山小屋らしい。以前は遭難して雪女や雪ん子に会ったという話を聞くことがあったが、山小屋ができてからは、そんな噂もなくなったようだ。

 若女将から救助要請を出すか聞かれたが、雪姫にも確認し、今はまだ必要ないと断った。ただ、スキー場のパトロールと山の管理組合には、若女将から連絡して貰うことにした。異変が起きたらすぐに救助要請を出すと約束し、一旦電話を切った。

 

 山小屋では寒さを避けられるが、日が暮れれば真っ暗になってしまう。バッテリーの残量を考えると、スマホの照明は使えない。このため、収納ボックスにあったオイルランプを取り出して床に置き、マッチを擦って灯りを点けた。

 僕たちはランプの前に座り、僕は自分の上着を脱いで彼女の背に掛けた。

 

「私は大丈夫だって断っても、きっと心配してくれるんだよね……」

 

「うん。僕はスキーウェアの下にも、厚手のフリースのジャケットを着ているから」

 

「じゃあ、こうしましょう……」

 

 彼女は僕に寄り添うように座りなおし、スキーウェアの上着は二人の背中をそっと覆った。ふれあう彼女の身体は冷えていたが、降りたての新雪のように柔らかい。彼女から体温とは違う温かさを感じた。

 

 僕は収納ボックスの上にあるノートを手に取ると、最終ページを開き、日付と自分の名前、そして『吹雪に遭って二人で避難』と書いた。そして彼女に手渡した。

 

「私も書いた方がいいのかな?」

 

「それはそうだよ」

 

 僕が答えると、彼女は『雪姫』とだけノートに書いた。

 

 彼女からノートを受け取り、前の方からページを捲った。そこには単純な記録だけでなく、山小屋への感謝や、これから利用する者への励ましまで書かれていた。僕の心は少し暖かくなった。

 

「雪姫もノートを見る? 山小屋を利用した人たちの記録があるよ。さっき、若女将が電話で、この山小屋ができてから、雪女や雪ん子が出たという噂がなくなったって言っていたよ」

 

「そうなんだ。私は読まなくてもいいかな」

 

 ノートを収納ボックスの上に戻し、僕は自分のバックパックを膝の上に置いた。

 

「大変なことになってしまったけど、きっと何とかなるよ。雪姫、お腹は空いていない?」

 

「えっ?」

 

 驚いた様子の彼女に前に、僕はバックパックからペットボトルとキャンディーが入った袋、それに箱入りのアーモンドチョコレートを出して見せた。

 

「アキラのバックって、色々入っているのね」

 

「スキーってカロリーを消費するから、飴とチョコレートは必須だからね」 

 

「じゃあ、チョコを一粒貰おうかな」

 

 そう言って微笑んでいる雪姫に、箱を開けてチョコを渡した。

 

「どう?」

 

「甘くて美味しい」

 

 雪姫と二人で山小屋に避難してから、それほど時間は経っていない。だけど12月後半の日暮れは早く、もう小さな窓から微かに入り込んでいた光はない。

 ゆらゆらとしたランプの灯りが、僕たちを下から優しく包むように照らしている。寄り添ってくれている雪姫と話していると、外は吹雪のはずなのに暖かくさえ感じた。

 

「ねえ、アキラ……、もし忘れていることを思い出せるとしたら、どんなことがいい?」

 

「思い出したいこと? そうだな……、忘れている約束かな。約束相手に迷惑をかけているかもしれないし……」

 

「ふふ、アキラらしいね……」

 

 雪姫は笑った。

 

「そうかな?」

 

「じゃあ、思い出してみて……」

 

 彼女はそう言いながら、僕の顔に息を吹きかけた。

 

(彼女の息は甘く、安心感を与えてくれる……)

 

 僕は気持ちが良くなって、ゆっくりと瞼を閉じた。

 

——

 

  心地よい木の匂いがする。この匂いには覚えがある。

 

 静かに目を開けると、木の天井が見える。山小屋とは違うようだ。視線を横に移すと、雪姫が大事にしていたそらと名付けられたぬいぐるみがあった。

 

(山小屋で気を失って、救助されたのだろうか? よく見ると、ぬいぐるみが動いているようだけど……)

 

「アキラ様、お目覚めになりましたか」

 

「えっ! ぬいぐるみが喋った!?」

 

 驚いた僕は、仰向けに横たわっていた上半身を勢いよく起こした。

 

 

  つづく

 

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