第1章 僕が出会ったコスプレの彼女

第1話改 僕が一人で訪れたトコ(1)


 クリスマスイブの曇り空、僕は寒さに震えながらスキーケースを肩に担ぎ、大きなキャスターバッグを引いていた。除雪されたばかりの道を、黙々と一人きりで歩いている。周りには、家族や友人たちと、笑顔でスキー場に向かう人々の姿があちこちに見受けられた。今回は一緒にスキーを楽しむ仲間がいなかった。僕は一人でこの場所に来ることを選んだ。

 

(一人でスキーに来るのは、高校2年の冬休み以来だな……。最初に一人で旅行したのは、夏休みだった。そうだ……あの時の京都でのこと、あの女性のこと……)

 

◇――2年前の夏

 

 高校2年の夏休み、一人で京都を訪れた。同じタイミングで両親と妹は家族旅行に出掛けていたが、僕は一緒に旅行するのが嫌だったのだ。それに、自分一人の力で何かを成し遂げたいと思っていた。

 

 あの旅行では、予期せぬ出来事に遭遇した。その時の記憶がよみがえる。宇治駅から歩いて平等院の近くを観光している途中、突然、女性の叫び声が聞こえてきた。手提げバッグを握った男が、僕の方に走ってくる。女性の手提げバッグを奪ったと疑われる男だった。

 明らかに逃走しようとしている男を、周囲の人たちは傍観しているだけだった。その場の緊張が、今も胸に残っている。僕は迷わず駆け寄り、犯人の前に立った。目の前で行われた犯行を、僕は見逃すことができなかった。

 男の腕を掴み、取っ組み合いになってしまったのだが、興奮していたからか、そこから先は断片的にしか覚えていない。

 

 ぼんやりとした記憶では、ふとした瞬間、犯人の表情が一瞬だけ緊張し、凶器を取り出した。その凶器を取り上げようとしたが、抵抗され、状況は緊迫した――。

 

 その場に崩れるように倒れた僕は、窃盗の被害者の女性から介抱され、何か水のようなものを飲まされた記憶があるが、――、ここからの記憶が飛んでいる。

 

 目を開けると、僕は石畳に横たわり、女性に介抱されていた。時間はほとんど経っていないようだった。被害者でもあり、介抱してくれた女性は、着物姿の水のような透明感のある髪をした、まるで水の女神のように綺麗な人だった。その女性が僕を心配そうに見下ろしていて、彼女の透明感のある美しい髪が風に揺れていた。

 

『大丈夫ですか? どこか、痛むところはありませんか?』

 

 その女性が声をかけてくる。

 

『はい……、頭はぼんやりしていますが、身体は大丈夫です。凶器が身体を掠っただけだったようです』

 

『ご無事でよかったです。とても勇気のある行動でしたね。おかげで、大切なバッグを取り戻せました。ありがとうございます。』

 

『僕の方こそ、ご面倒をおかけして、申し訳ありません』

 

 僕はゆっくり立ち上がりながら、その美しい女性に答えた。

 

 警察が騒ぎを聞いて駆けつけたとき、犯人は意識がなく、ぐったり横たわっていた。僕は幸い運が良かったらしく、凶器は表皮を傷つけただけで臓器に届いていなかった。服には凶器による穴があったが、身体にはすぐに治った小さな傷だけが残されていた。

 

 警察の事情聴取が終わった後だった。

 

『事情聴取も終わったことですし、もしよければ、一緒にお茶でもどうですか? 今日のことで疲れたでしょうから』

 

 その女性の申し出を、僕は快く受けた。

 

 僕たちは、近くにある古びた木の扉が特徴的な茶屋を訪れた。店の中に入ると、天井から吊るされた古い灯籠がやさしい光を放っていた。店内は木の香りと緑茶の香りで満たされ、外の騒がしさが嘘のように静かな場所だった。

 僕たちは窓際の席に案内され、宇治川の風景を眺めながらお茶を楽しんだ。その女性は、内容はわからないが仕事で宇治に来ていると話してくれた。

 

『宇治は緑茶が有名ですよね。実は、この茶屋の緑茶はとても評判が良いんです』

 

 彼女が教えてくれた。

 

『そうなんですか。確かに、このお茶の味は格別ですね』

 

 僕は感心しながら答えた。

 

『傷は癒えたようですが、どこかに違和感はないですか?』

 

『ええ、大丈夫です。ただ、記憶を失っていた間に、何か夢を見ていた気がするのですが、思い出せなくて、とてもモヤモヤするんです』

 

『そうなのですか……。きっと素敵な夢だったのでしょうね……』

 

 僕は意識を失っている間、どこか別の静かな場所の楽しい夢を見ていた。夢の内容は覚えていないが、この女性が登場したような気がする。そして、大切なことを何か忘れてしまったような、ぽっかりとした喪失感が心に広がっていた。

 

『気を失っている間の夢の中で、あなたにもお会いしたような気がします』

 

『それはとても光栄です……。しかし、危険だから関わらないでおこう、とは思いませんでしたか?』

 

『ええ、全く思いませんでした』

 

『とても勇敢で、正義感が強いのですね』

 

『いいえ、我が強いので、周囲からは協調性がなくて、よく自分勝手だと言われます』

 

『きっとそれは、まだ周囲があなたの良さに、気づいていないだけだと思いますよ』

 

 その女性に笑顔で言われると、僕はとても穏やかな気持ちになった。

 

 それから他愛もない話題で会話を続け、茶屋を出る頃には、強い日差しは幾らか和らいでいた。

 

『ごちそうさまでした。お茶もお菓子も美味しかったです。それに、とても楽しい時間でした』

 

『どういたしまして。こちらこそ、あなたのような方と巡り合えて、とても良い一日でした』

 

『お仕事、頑張ってください。さようなら』

 

『ありがとうございます。また、どこかでお会いできたら嬉しいですね。お元気で』

 

 その女性は、凛として優しかった。長い透明感のある髪が印象的だったが、それから再会はしていない。

 

――◇

 

 旅行中に窃盗犯を捕まえたことで、僕は勇気ある行動を讃えられ、警察から賞状をもらった。その武勇伝は休み明けの学校でちょっとした話題になった。その前までクラスで目立たない存在だった僕が、突然クラスの中心になった。驚きや賞賛の声が向けられることに慣れていなかったが、心の中では少し嬉しかった。

 

 そのこともあって、それまでは他人との交流が苦手で、人付き合いを避けていたが、少しだけ他人と関わるようになった。2年前の夏休みの京都での出来事が、僕に変化をもたらしたと思う。

 

 

  つづく

 

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