第1章 僕が出会ったコスプレの彼女

第2話改 僕が捨てたコトと拾ったモノ(1)


 フリースキーは、伝統的なスキーに比べ歴史は浅いが、それゆえに新しいスタイルや技術が日々生まれる独特の魅力がある。このスポーツを通じて、僕は山や雪、そして自然との深い繋がりを感じることができた。

 トップ選手がとても身近で、雪がなくても、室内スキー場やプール、マットを活用したジャンプ場、トランポリン施設などの施設で練習が可能だ。

 

 トップ選手と直接交流できることに魅力を感じ、小学校高学年から高校1年までは、季節を問わずフリースキーのキャンプやレッスンに熱心に参加していた。

 

――

 

 最初は親に連れられ、大人に混じって練習していたが、その頃が一番楽しかった。同世代の参加者もいたが、僕は彼らとそれほど親しくはなかった。元々人付き合いが苦手だったので、練習以外で一緒に遊ぶような付き合いはしなかった。練習の合間に好きなアニメやゲームのことを、少し話す程度の仲だった。

 

 フリースキーがオリンピック競技に加わり、ジュニアの育成に力が入るようになった。すると、同世代でも大会で活躍する『ガチ勢』と徐々に練習に来なくなる者に分かれた。僕の妹は練習から離れる者たちの中にいたが、一方で僕は自由にスキーを楽しむスタイルを続けていた。

 

◇――3年前

 

 高校生になると、練習をそつなくこなす僕を見て、多くの人は僕が本格的に選手を目指していると勘違いしていたかもしれない。でも、そんな期待は重荷だったし興味もなかった。コーチからジュニア代表の推薦が打診されたが断った。

 

『お前、何のために練習してるんだ?』

 

 コーチからそう言われたが、僕は技を覚えること自体が楽しかった。

 

 本気でワールドカップやオリンピックを目指す他の同世代とは、同じ練習に参加していても、気軽に会話することもなくなった。練習に参加しながらも、心の中で常に『本当に競技としてのスキーが自分の道なのか?』という疑問を抱くようになった。

 

『もう、これでいいか……』

 

 僕の中で、競技としてのスキーへの情熱は、少しずつ褪せていくように感じた。フリースキーのジャンプには天分があると言われ、多くの期待が僕に寄せられていた。しかし、その道を真っすぐ進むことに対する迷いや不安が常に心の中で渦巻いていた。その葛藤の中で、競技者としての道を選択しないことを決意した。

 

「本当にそれでいいのか?」

 

 その決断を知った仲間の中には、僕の才能を惜しむ者たちがいた。あまり交流のなかった同世代の中でも、何人かは心配そうに声をかけてきた。彼らの言葉には、真剣な思いや、僕の才能を残念に思う気持ちが伝わってきた。しかし、僕は自分の心の声を優先し、競技者としての道を選ばないという選択をした。

 

――◇

 

 中途半端な存在になった僕は、高校1年でキャンプやレッスンへの参加を一切止めた。しかし、スキーそのものを止めるつもりはなかった。フリースキーの練習も一人でするようになった。

 

 雪の少ない県の高校に通っているので、いつでもスキーを楽しめる部活や友達はいなかった。それに、家族とも一緒に行く気にはなれなかった。だから、親に頼んで旅費を出してもらい、高校2年の冬休みに初めて一人でスキーに行った。一人でのスキーは自分のペースで滑れるし、何より他人の目を気にせずに自分のスキーを楽しむ時間が欲しかった。今思えば、少し自分勝手だったかもしれない。

 

 その2年前の冬、家族と一緒に来ていたスキー場の麓にある旅館で、僕はこの部屋に一人で宿泊していた。

 

――

 

 この窓から見る雪山の景色は2年前と変わらない。僕は視線を移し、部屋の隅の方を見つめた。2年前、この部屋の隅には段ボール箱が置かれていた。

 

(そうだ――あそこにあった箱にウサギがいたんだっけ――可愛かったな……)

 

 僕は2年前の滞在中にスキー場で起きた出来事を思い出した。

 

◆―― 2年前の冬

 

 高校2年の冬休み、久しぶりに練習とは別の目的でスキーを楽しんでいた。一人で滑る寂しさなどは全く感じなかった。それまでの練習の疲れやストレスを忘れて、山頂から麓まで何度もノンストップで滑った。パークエリアのキッカーからジャンプをしたり、ジブアイテムのレールやボックスに飛び乗って金属音を響かせた。

 

 気分を変えて初級者用の林間コースをゆっくり下っていたとき、前方の滑る人たちが何かを避けているのに気づいた。ちょうど林間コースの途中にある、古びた石碑と木造の鳥居が連なる小さな神社の近くだった。スピードを落として前方を注視すると、そこには怪我をしているウサギが横たわっていた。

 

 僕はウサギの横でスキーを止めた。ウサギの背中は血で濡れていたが、その目は深い輝きを放っていた。このウサギには、特別なオーラがあるように感じた。

 

『かわいそう……』

 

 通り過ぎながら女性が言った。

 

 そう思ったのなら、なぜ助けようとしないのだろう? 林間コースを滑る人たちは、傷ついたウサギを心配する目を向けていたが、誰も手を差し伸べなかった。僕の他に立ち止まる人は一人もいなかった。

 

 後から知ったのだが、鳥獣保護管理法が定める傷病鳥獣救護活動では、人為的な原因以外で傷ついた動物の救護は、自然の摂理に反するため禁止されている。彼らの行動は、この法律に基づくものだったのかもしれない。

 だが、その時の僕にとっては、目の前で傷ついて倒れている動物を助けることが最優先だった。それに、その怪我が人為的なものなのかなど、そのときの僕にはわかるはずもなく、ただウサギを助けたいとだけ思った。

 

 ウサギの呼吸は浅く、不規則であり、動きが鈍く、明らかに苦しんでいた。僕はウサギにゆっくりと手を伸ばし、その小さな、繊細な体を優しく抱き上げた。ウサギの柔らかい毛が僕の手に触れ、その瞬間、ウサギの怯えた呼吸が少し落ち着いたように感じた。その小さな生命の鼓動を感じた。

 

『大丈夫、今度は僕が助けてあげる』

 

 僕はウサギに囁きながら、その身体を抱きしめた。

 

 小さい頃、この山で遭難したときに、雪ん子に手を引かれて助けられた。あの光景が頭に思い浮かぶ。雪ん子の周囲を、道案内でもするかのように、ウサギなどの小さい動物たちが飛び跳ねていたのを思い出す。あのときの感謝の気持ちと、この山での特別な経験が、僕をウサギを助ける方向に導いたのだ。たとえ同じウサギでなくとも、恩返しをしたいと思った。

 

 

  つづく

 

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