第3章:上野での冬のはじまり

3.7 沼田から鎌原までの輝虎との旅


 翌朝、私たちは伊香保温泉を出発し、お昼過ぎに沼田に入りました。唐沢玄蕃と合流して沼田城の前まで来ると、出迎えてくれたのは上杉輝虎本人のようでした。

 

「道澄、待っていたぞ!」

 

「輝虎殿、わざわざお出迎え頂き、申し訳ありません」

 私はそう応えて深く礼をしました。

 

「久しぶりだな。会いたかった」

 そう言って輝虎殿が近付いて来て、人目を憚らず私にハグして来ました。

 

 私は一瞬反応に困りましたが、二人の関係を考えて腕を輝虎殿の背に回して輝虎殿の胸を受け止めました。その身体は軍神と呼ばれている武将とは思えないほど華奢で柔らかでした。

 

 ただ、再会を喜ぶハグにしては輝虎殿はなかなか私から身体を離さず、コノハさんと二郎に限らず周囲の人たちが面を食らっているのが分かりました。

 

「ふふ。そういう事ですか」

 と吹き出しそうになっている千代女の呟きが聞こえました。 

 

 私たちは城内に入ると、輝虎殿に謁見するため広間に案内されました。

 

「道澄さん、輝虎様ってセオリさんに似てないですか?」

 

「とても似てます。空似かも知れませんが、自覚がないだけで私たちと同じかも知れません。実は、セオリさんとお酒を飲みながら眠ってしまったら、この時代より少し前の輝虎殿に会ったのです。その輝虎殿もセオリさんそのもので、セオリさんと同じ匂いがしました」

 

「ええっ!」

 コノハさんは驚いたような声を上げました。

 

 その驚いた声が掻き消えない内に輝虎殿が広間に入って来ました。

 

「唐沢玄蕃が届けた書状で要件は分かっている。浅間山の龍蛇を斬るため、備前長船兼光の名刀である水神切兼光を借りたいのだろう?」

 

「はい。そのために参りました」

 

「ダメだな。道澄の頼みでも家宝の水神切兼光は貸せん。それに、あの刀はお前では扱えまい」

 

「そうですか…」

 

「しかし、その龍蛇が餓鬼悪霊を操って同盟を結ぶ北条が治める集落を襲ったのであれば、関東管領として捨て置けん」

 

「では、お力をお貸し頂けますか?」

 

「ああ。他でもない道澄の頼みだからな。龍蛇は神の如き存在だから魔を祓う道澄の呪術では対抗できまい。神切りの刀が必要だろう。仕方がない。私が退治する」

 

「はぁ?」

 

「だから、私が自ら退治してやる」

 

「輝虎殿が御自らですか?」

 

「ああ、当然だ」

 

「しかし、浅間山の辺りは武田の支配下で、沼田から向かうには真田幸隆殿が守る岩櫃城を通ることになると思いますが」

 私が更に疑問を投げ掛けると上杉の家臣の方々も頷いています。

 

「武田との戦ではないから軍勢は率いぬ。武田の者も身一つの私を討つほど恥知らずでもないだろう。唐沢玄蕃と望月千代女、真田とは話を付けられるのだろう?」

 

「はい。龍蛇退治であれば、岩櫃城の真田殿に限らず親方様も何の文句も言いますまい。昨年からの北条と今川の塩止めに上杉が加担されないことは、親方様や武田の家中に留まらず、領民もみな、輝虎様に感謝しております。輝虎様が浅間山の龍蛇退治に出向かれるのであれば、憂いがないよう内々に話を通しましょう」

 千代女は笑みを浮かべながらそう答えました。

 

「そうか。では頼む。私がいなくても政務は回るしな。道澄と一緒の龍蛇退治、楽しみだ!」

 輝虎殿は笑顔でした。

 

 その後、誰に反対されようと輝虎殿が考えを変えることはありませんでした。上杉の家臣数名と唐沢玄蕃が下調べと真田などの周辺の豪族に話を付けるため、その日の内に沼田を発ちました。

 

 私たちは沼田城で一晩を過ごし、翌朝浅間山に向かって出発しました。輝虎殿の護衛も同行しましたが、輝虎殿から邪魔だと遠ざけられ、大分離れて追って来ます。

 沼田から浅間山までは徒歩で二日の距離ですが、この時代の上野国《こうずけのくに》は上杉と武田と北条が勢力争いをしています。吾妻川の中流域から武田の勢力下の筈でしたが、唐沢玄蕃の根回しなのか特に襲われることもありませんでした。

 

 私たちは一晩目の宿で、千代女から上野と信濃の境にある鎌原村の近くに魔物が出ると村人に恐れられている洞窟があると聞き、そこを目指すことにしました。

 

「道澄さん、これから向かう鎌原村って天明の大噴火で被害のあった場所ですよね」

 コノハさんが私に訊ねて来ました。

 

「そうだね。この時代からは200年以上も先の未来だけど」

 私はそう答えました。

 

 私が知る歴史では、鎌原村は天明の大噴火と呼ばれる1783年の浅間山の噴火で発生した火砕流で、村全体が土石の下に埋まって壊滅しました。570名の村人の中で僅か93名だけが高台の観音堂に避難して助かったようです。このため鎌原村は日本のポンペイと呼ばれています。

 

 私たちが鎌原村に着いた時には沼田を出て二日目の夕暮れになっていました。この時代の鎌原村には観音堂はないようで、吾妻川の近くに真田幸隆の弟である鎌原幸定が城を構えています。浅間山の洞窟の探索を前に、私たちは千代女の計らいで上野と信濃を結ぶ宿場町でもある鎌原村の温泉宿に泊まることになりました。

 

 鎌原村は上野国の端にあり、武田の勢力下になる前は関東管領山内上杉家が支配する土地でした。輝虎殿が来たことは隠されていた筈ですが、どこからか上杉輝虎が洞窟の魔物退治に来たという話が漏れたらしく、宿では盛大に歓迎されました。

 

 凛々しい姿で夕食を頂いていた輝虎殿は、龍蛇退治の前の景気付けだからと千代女に言われて盃を空けるペースが速まっていました。

 

「道澄様、輝虎様とはどういうご関係です?」

 

「上洛された際に知り合いましたが、私欲ではなく世のために働かれる尊敬する方であり、師のような存在です」

 

 

「本当に師弟の間だけですか?」

 かなり酔っている千代女が私にしつこく聞いて来ます。

 

「和歌に関しては道澄の方が私の師だ。それに道澄には呪術で何度も危ない所を助けて貰っている。道澄一人で千人力、いや、万人力だ。私は師弟ではなく、同志だと思っている」

 

「ふーん、同志ねえ。でも、輝虎様、あなた本当は一人の女として道澄様が好きなのでしょう?」

 千代女が酔った勢いで誰も口に出せなかったことを言いました。

 

「女とか男とか関係なく、道澄は私の大切な存在だ。好きも嫌いもあるか!何か文句があるのか?」

 輝虎殿が千代女を睨みました。

 

「いいえ。文句などありませんよ。でも単なる大切な存在なら道澄様は私が貰っても構いませんね?」

 千代女が私の腕を掴んで抱き着き、私は身体を引いて離れようとしました。

 

「ふん。嫌がっているだろ。道澄がお前なんかに興味を持つものか!なっ、道澄」

 輝虎殿が私に同意を求めて来ました。

 

「巫女が僧と神仏習合をしたっていいじゃないですか」

 千代女が更に擦り寄って来ます。

 

「道澄から離れろ、千代女! 道澄もデレデレするな!」

 輝虎殿は怒り出して千代女と反対の私の腕を掴んで引っ張ります。

 

「輝虎様も千代女さんも、そろそろお酒を控えた方がよろしいのでは? 道澄さんも呆れていますよ」

 コノハさんが言い合いになった二人の間に割って入りました。

 

「うるさい! 道澄はコノハにだってやらんぞ! 道澄に気に入られているからって調子に乗るな!」

 

「酔っ払いが絡まないで下さい。今の輝虎様って本当はセオリさんなんでしょ。お酒を飲むとだらしない所なんて、全くセオリさんそっくりだもの。私と道澄さんは河口湖で会った時からの特別な関係なんです」

 

「セオリ? とくかく、特別な関係など許さん!」

 

「そうさ、許さないよ。若きゃいいってもんじゃないよ」

 

 こうして二人の言い合いは三人の言い合いに発展しました。私は三人の間から抜け出て二郎の横に座りました。

 

「道澄様、お止めにならないのですか?」

 呆れて見ていた二郎が言いました。

 

「私は修験者ですし、女性同士の揉め事には…」

 と私が口を濁していると、誰かの腕が伸び、再び三人の間に引っ張り込まれました。

 

 私は明晰夢を見る前に事前に計画を練って来たつもりでしたが、こうした展開は想定外でした。今回の夢では、目的を達成するまで目を覚まさない予定で、これまで幾晩も夢のまま過ごして来ました。しかし、私は断り切れずに輝虎殿と千代女から浴びるようにお酒を飲まされ、段々と意識が遠くなって行きました。

 

 

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