私は大学時代、理系の中の文系と呼ばれる学科にいました。

 

 ゼミの先生は産業心理学が専門で、私は夢の研究をしていました。

 

 毎夜、一日の出来事や強い感情を書き出し、
 毎朝、起きて直ぐに夢の内容を記録し、体温と血圧を測りました。
 これを2年近く続けました。

 

 定性的なことを定量的に表現し、
 夢を従属変数、出来事や感情を説明変数として、先行性、遅行性を統計的に分析し、何かの相関がないか調べました。

 

 が、相関があるともないとも言えない残念な結果でした。

 

「これでは卒業研究を発表できない」となって急遽テーマを変更しました。

 

 結局、バイト先のスーパーに頼んでストップウォッチで数週間分のデータを取らせて貰い、「スーパーにおけるレジ待ち行列の分析と考察」という無難なものになってしまいました。

 

 ただ、夢の研究はムダではなかったと思っています。
 
 起きたら直ぐに忘れてしまう夢ですが、習慣化すると忘れずに記録に残せます。
 
 夢には色々あり、短い不連続な夢もあれば、途中で目が覚めても続きを観れることもあります。
 私の夢には色もあり、匂いもします。現実の世界との違いは全くありません。夢の舞台としては、自分が経験した過去の出来事や印象に残っているアニメや映画を再現や、自分の願望を反映して再構成されたものが多かったです。
 
 夢には色々な分類の仕方がありますが、「誰の夢か」で2分されます。
 
 1)自分として自覚している夢(明晰夢)
 2)映画を観ているように眺めている夢
 
 この「自分として自覚している夢」も細分され、意識通りに身体を動かせるものと、意識通りに動かせないものがあります。
 時間の感覚は現実と同じですが、夢で過ごした時間は現実では一瞬です。夢の中で眠りに着き、何日も過ごしたとしても多分現実には数分しか経っていません。
 
 意識通りに動かせない夢の時、私の場合ですが、恐怖を感じた瞬間に景色が真っ暗になり金縛り状態になりました。金縛り状態の時に無理に身体を動かそうとして、意識だけがどこかにどんどん落ちて行くように感じたことが何度かあります。
 
 意識がどんどん落ちて行く、それを言葉で表すならば「宇宙を飛んでいる」感覚です。どこかに向っている。そして先に何かがある。そこまでは分かりました。しかし、いつも途中で目が覚めました。
 途中の光景は覚えていますが、辿り着けたことは一度もありませんでした。
 
 意識通りに身体が動かせる夢の中では、まるで自分が映画の主人公のようですが、なんでもできる訳ではなくて、できることの制限は必ず掛かっています。
 しかし、必ずしも、自分が本来の自分の姿ではなく、女性だったり、別の生物だったりもします。
 
 一方、
 映画を眺めているような夢は、同じ夢を何度も見ているように思います。そして自分の過去や映画やテレビで観たことだけではなく、未来のこと、行ったことのない世界のことも夢で観ました。


 現実の日々を過ごす中で、「あれ?どこかで見たような?」と既視感のある光景をたまに目にします。
 
 統計的に、日々の出来事と夢には有意な相関があるとは言えません。しかし、全くないとも言えない中途半端な相関係数です。
 
 では、日々の夢は何の影響を一番受けているのか?
 
 多分、それは現実世界で得た情報を整理する際に生じる「潜在的な意識からのフィードバック」だと思います。現実の体験より潜在的な意識の方が圧倒的に情報量が多いと仮定すれば、日々の出来事と夢の間に有意な相関が出なかったことも納得できます。つまり、潜在意識の状態と夢にこそ、正の相関があるのだと思います。
 
 私は、人の潜在意識は金縛り状態から意識だけが落ちて行った先にあり、潜在意識の更に先はみんな繋がっているのではないかと思っています。ユングが提唱した集合的無意識の先にある世界です。
 
 何れ誰かが、夢の先を究明してくれると信じています。