第2章:深まる秋の相模路

2.3 合戦後の救援を求めた会合


 泉のある日金沢の緑地から出ると、直ぐに八王子から大山に続く街道になりました。本来ある筈の建物は1軒も見当たらず、街道と言っても草が生えた荒れた地面が続いているだけです。でも、視界の奥にある山の景色には見覚えがありました。

 

「見慣れた丹沢の山々だ」

 私は声に出してしまいました。

 

「ねえアキ、この辺りで最近になって大きな戦争があった?」

 私はどの時代なのか確認しようと思いました。

 

「あった、あった。とても大きな戦が三増であった。私たちはイザとなれば勝った方に従うだけだけど、巻き込まれるのはご免だよ。武田が小田原に向かった時には近くを軍勢が通ったから、ウチも仕方なく武田にも食糧を提供したよ」

 

 私はアキの話を聞いて部室のパソコンで動画を見た三増峠の合戦後に来てしまったんだと実感しました。

 

「結局、武田信玄は甲斐から攻め込んで来て小田原までは行ったけれど、攻め切れずに甲斐に引き上げたんでしょう?」

 私は訊ねました。

 

「うん。そうみたい。この辺りは戦場にならなくて本当に良かったよ。三増なんて戦場になって周囲の田畑まで荒らされて、何千人もの死体が放置されているらしい。川向うの人たちが気の毒で仕方ないよ」

 アキは空を見上げて言いました。

 

 

 アキの深刻な顔を見て、私は死が直ぐ近くにある時代なのだと実感しました。

 

「そうなんだ」

 

「それで川向うから救援要請が来て、ウチで会合を開くから出て欲しいって庄屋さんの所に私が文を届けに行ったんだ」

 

「助けを求めに来た人って、命辛辛逃げて来たって感じ?」

 

「いいや。実はそれがイイ男なんだ。配る文が多いから私も手伝ったんだ」

 アキは急に明るくなりました。

 

 アキが言うには、相模川を渡った先にある八菅山に滞在している修験者の道澄という方が、明け方に共を一人連れて救援要請に来たそうです。

 八菅山は熊野権現の修験場の一つですが、山岳修行の最中に武田信玄の小田原への侵攻があり、落ち着くまで八菅山の修験集落に滞在していたようです。

 が、三増峠の戦い後に餓鬼や悪霊が集落を襲っているという話を聞き、仲間の修験者と浄霊に来ていて、自分たちだけでは手に負えないために救援要請に来たそうです。

 

 アキは文を配る手伝いをしていて、その方が京の貴族出身だと分かったようです。以前から小栗判官と照手姫の恋の話が好きで、その方も小栗判官と同じ京の貴族出身で、熊野権現の修験者なので、小栗判官に所縁の場所である『鏡の泉』を用事のついでに見に来たそうです。その彼岸沢の未来を映す泉から私が出て来たこともあり、ただ事ではないと、とても興奮していました。

 

 

 それからの道中は、照手姫に送った恋文や熊野での蘇り、美濃での照手姫との再会などの小栗の逸話を、アキは延々と私に話してくれました。

 

 周囲の景色が違っても地形までは大きく変わっていません。アキが自分の家だという屋敷は、坂の上にある父の実家の場所でした。

 広い敷地には母屋と思える立派な建物があり、私が知っている蔵や穀物の入れられた大きな物置、そして物見の櫓がありました。

 

「ねえ、あの櫓の上の金属の棒って何なの?」

 不思議なことに櫓の上に携帯電話の基地局のようなアンテナがありました。

 

「ああ、あれは夏に来た大嵐の際に、どこからか飛んで来たものなの。きっと神聖な物に違いないと思って、お父さんに言って元のまま櫓の上に取り付けて貰ったんだ」

 

 私はアキの言葉を聞き終える前にポケットからスマホを出し、電源を入れました。するとスマホのアンテナマークは一番左の一本が微妙に立っています。

 

「やった! 電波が入る!!」

 

 しかし電話もメールもSNSもNGでした。ただ、どこに送信されるかも分からないファイル送信機能だけが辛うじて生きていました。私はがっかりしながらバッテリー節約のために再び電源をオフにしました。

 

 

 私たちは玄関の前に立ちました。

 

「ただいま」

「ごめんください」

 

 少しすると戸が開けられ男性が姿を見せました。

 

「なんだ、アキ、お前か。随分遅かったじゃないか。それにどちらの方を連れて来たんだい?」

 私は服装の所為か不思議そうな目で見られました。

 

「この子はコノハっていうの。私の友達よ。お父さん、家に上げていいでしょ」

 

「友達? まぁ詳しい話は後で聞かせて貰う。これから大事な会合だから静かにしていろよ」

 

 アキの家は村で一番大きな名主のようで、広間には村中の名主や近隣の庄屋、神社の神官、お寺の住職が集まっていました。

 相模川の向こうでは、北条軍と武田軍と大きな戦いで田畑が荒らされて食糧が不足している上、悪霊や餓鬼に襲われており、道澄という方は食糧の提供と一緒に浄霊する人手を出して欲しいと頼んでいました。

 

 アキと私は広間の隅に座っていたアキの妹のアイに簡単に紹介された後、その隣で話を聞きました。

 

「ねえ、あの方ってイケメンでしょ」

 アキが小声で言いました。

 

「私はお供の方がステキだと思う」

 妹のアイが私より早く反応しました。

 

「えっ、絶対に道澄様の方がカッコイイよ。コノハはどう思う」

 

 私が答えに困っていると周囲に睨まれて二人は静かになりました。ただ、私は道澄という方の顔に見覚えがあるような気がしました。

 

 

 合戦場に隣接していた北条方の田代城は落城して悪霊の巣窟となり、少し離れた津久井城に救援を求めに行っても音信不通とのことでした。

 かなり恨みや欲が強い悪霊や餓鬼が群れで襲って来るそうで、一緒に来た仲間や近隣の僧侶や神官の多くは倒れてしまったようです。このままでは次々に襲われて被害がどこまで広がるか分からないと困っていました。

 

 食糧の支援は、名主や庄屋の家々で少しづつ出し合って行うことになりました。そして村にある神社やお寺からは、『明日以降の日中の死者の供養は協力できる、ただ悪霊や餓鬼の群れを浄霊するには力不足なので、少し離れた大きな神社やお寺に急いで依頼するので数日だけ待って欲しい』と言われていました。

 

「食糧の援助や死者の供養にご協力を頂けるだけでもとてもありがたいです。ですが、恐らく今夜も悪霊や餓鬼は襲って来ます。今夜一晩を守り切るためのお力添えをどなたかお願いできないでしょうか?」

 

 道澄という方は必死に訴えました。

 

 が、今夜から力を貸せるという声は、村の人からも神社とお寺の人からも上がりませんでした。腕力や祝詞やお経を読むだけで悪霊や餓鬼が祓えるとは誰も思っていないようです。

 

 会合は解散となり、道澄という方は夜になる前に取り敢えず持てるだけの食糧を持って相模川を渡り、今夜の襲撃に備えると言っています。

 

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