第2章 過去編:千々石ミゲルの日記

第11話 失われた時を取り戻すために


1599年12月

 

 その日、私は弟子と共に京の花街を歩いていた。大地震から三年が経ち、京都の街並みは以前よりも賑わっていた。

 

 地震と同じ年の暮れに禁教令が公布され、フランシスコ会は厳しい弾圧を受け、全ての教会や修道院が破壊された。しかし、イエズス会には厳しい処置がなかった。

 私たちが以前から布教活動を自粛していたことも関係するが、政権と近く、貿易商との仲介をしていることが理由であると思う。殉教された尊い26人や、そのご家族のことを思うと胸が苦しくなる。私たちイエズス会の聖職者ではなく、たまの父など一般信者から捕縛者が出て、見せしめのために命を落としてしまった。その現実が、重くのしかかってくる。たまには、どうか無事にいて欲しい。 

 

「ミゲル様、この辺りは地震の被害が大きかった場所ですが、随分と誘惑の多い、賑やかな街となりましたね?」

 隣を歩く弟子が周囲を見回しながら話しかけてきた。

 

「そうだね。地震から復興し賑やかになることは良いことだけど、我々とは縁遠い場所となってしまったね。この街が気になるのかい?」

 

「ミゲル様、意地悪ですね。禁欲をしている身とは言え、私は修行の経験も浅く、時に誘惑に負けそうになることがあります」

 

「キミは正直だね。このまま聖職者として進むか、一人の信者として結婚するか、よく考えた方がいいかもしれないよ」

 

 私は笑いながら弟子に提案した。

 

「そうですね。相手がいれば結婚するのも良いかもしれませんね。でも、禁教令のため、この京では女性信者が増えていませんから、ここにいる限りは難しいですよ」

 

 弟子も笑いながら答えた。

 

 そんな冗談を言いながら私たちが花街を通り過ぎようとしている時だった。通りに立っている綺麗な女性が、道行く男性に声をかけている。その女性は見覚えのある顔で、聞き覚えのある声をしていた。

 

「たま!」

 

 私が声をかけると、その女性はぎくりと体を震わせた。そして、私に気づくと、慌てて向きを変えて違う方向に歩き始める。

 

「先に行ってくれ。後で合流する」

 

「了解です」

 

 私は弟子にそう伝え、たまの後を追いかける。彼女が何で逃げるのか、その理由が気になった。

 

「待ってくれ、たま!」

 

「ミゲル様、来ないで」

 

 ようやくたまに追いつき、彼女の腕を掴む。

 

「なぜ逃げる?」

 

「そんなこと聞いてどうするんですか……」

 

「たま、お前がここで何をしていたのか、話してくれ」

 

 たまの瞳には涙が浮かんでいた。私はたまと一緒に街外れの静かな場所に移動した。

 

「たまの父上を救えなかった私を恨んでいるのかい?」

 

 私がそう訊ねると、たまはゆっくりと首を横に振った。

 

「そんなことはありません。ミゲル様はとても親切でお優しい方です。ただ、教会には失望しました。他にも大勢の信者がいるのに、どうして父だったのです。どうして私の家族だったのです。私は受け入れることができません」

 

 たまは厳しい目を私に向けた。

 

「そうだね。そうだよね。誰かが犠牲になるのであれば、私が選ばれるべきだったのかもしれない。たまの父上だけでなく、犠牲となった26人の方々には、本当に申し訳ないと思っている。私は何も言い訳ができない。祈りを捧げ、ただただ謝罪をすることしかできない。だから、そのご家族には、謝罪の上で、できるだけのことをさせて貰いたいんだ。たまをずっと心配していた。キミを探していたんだ」

 

「今更ですよ……」

 

「確かに今更だ。しかし、話すことで気が楽になることもあるし、解決できることもある。お願いだから私に話しておくれ」

 

 私がそう言うと、たまは涙を零しながら話しはじめた。

 

 たまは、父親が禁教令に反したとして処刑をされた後、屋敷や財産が没収されたため、母方の伯父の家に、母親と世話になっていた。しかし、母親が亡くなり、伯父も最近亡くなってしまった。罪人の娘であるため、たまには他に頼る者がおらず、一人で京に戻り、茶屋で働いて生計を立てていた。

 

「……今はこの近くの茶屋で給仕として働いているんです。ただ、客に手を出されることもあり、働きの対価も大したことありません。それだけでは足りず、毎月の家賃もギリギリで払っています。食べるものも、多くの日は野菜の皮や捨てられた米で済ませて……。罪人の家族なんて、真っ当な仕事では生きていけなくて。その上で、ミゲル様には言えないようなことも、私はしているんです……」

 

 たまは私から目を反らし、震えるような声で話してくれた。

 

「たま、よく話してくれたね。生きるためにキミがしたことは、決して恥ずべきことではないよ。辛かったね」

 

「ミゲル様……、私、私どうしたら……」

 

 彼女の瞳はとても悲しげだった。

 

「たま、茶屋を辞めて、教会で働かないか? 私たちの教会は禁教令の公布後も存在が許されている。しかし、京で教会を維持する人材を集めることが難しくなった。だから下働きの仕事をする者であれば、私の権限で雇えると思う」

 

「私が教会で? 父を救えなかった教会で働くのですか?」

 

「たまの父上だけでなく、私は捕らえられた信者を救えなかった。だから洗礼を受け、信者になって欲しいとは言わない。ただ、尊い犠牲になったご家族には少しでも報いたい。どうか教会に来て欲しい。たまに家事を手伝って欲しい」

 

「……ミゲル様、本当に私を助けてくれるんですか?」

 

「もちろんだよ。キミが困っているんだ。私が何もしないわけにはいかない」

 

 私がそう言うと、たまはしばらく考えていた。

 

「それなら……」

 

 たまは一瞬、言葉に詰まった。私を見詰める瞳にはまだ疑念と期待が交錯しているようだった。

 

「いいわ、ミゲル様。あなたの申し出、お受けします」

 

 たまの瞳が少しだけ明るくなったように見えた。

 

 私が手を差し伸べると、たまが両手でしっかりと握ってきた。その顔は以前見た笑顔そのものだった。

  

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