第1章 僕が出会ったコスプレの彼女

第4話改 僕にスイッチを入れたモノ


 滞在初日のスキーを終えて旅館に戻り、入浴してから夕食までの時間を部屋で過ごしていた。ただ、クリスマスイブに一人でいることが、夕食の際に他のお客から気の毒に思われるのも嫌だった。

 

(そろそろ夕食の時間かな? さっさと食べてこよう)

 

 僕は部屋を出て食堂に向かった。廊下の窓から外を見ると、夕方からの雪が降り続いている。除雪されていた道を覆い、窓から見える限りを白い世界に変えていた。

 

 少し早めに食堂に入ると、まだ他のお客は来ていなかった。

 

「お疲れさま。ゲレンデはどうだった?」

 

 夕食を準備していた若女将が声をかけてきた。

 

「全コースオープンしていて、雪質も良かったですよ」

 

「それは良かった。今年は雪不足でオープンが遅れて、コースもなかなか拡がらなかったのよね……。ところで、今日はウサギを拾ってこなかった?」

 

「ははは、拾っていません。その節はご迷惑をおかけしました」

 

 僕が改めてお詫びを伝えると、若女将は笑って流してくれた。僕は案内された席に座り、夕食を始めた。

 

――

 

 少しすると続々と食堂に人が入ってきた。僕は長テーブルの端に座っていたが、一つ席を空けたところに、僕より少し年上に思えるグループが着席した。特に聞き耳を立てているわけではなかったが、自然にグループの会話が耳に入ってくる。

 

「今日、ゲレンデに透き通るような髪のスノーボーダーがいたよね?」

 

「ああ、いたいた」

 

「凄い美人だったよね。ターンも綺麗だった」

 

「うん。あれはかなり上級の滑りだよ」

 

「でもウェアが変じゃなかった? あれってコスプレ?」

 

「よく知らないけど、コスプレなんじゃない。スノーボードの上にぬいぐるみを乗せていたし。何のアニメか知らないけどね」

 

「この辺のスキー場には、雪女の伝説があるらしいから、雪女のコスプレかもね。あれ? えっ、ちょっと待って……」

 

 そう言ってグループの一人が、スマホの画面を他の仲間に見せている。

 

「――あっ、隣のスキー場にも出没していたんだ! じゃあ、何かのモデル? どこかで撮影していたのかな? コスプレとスキー場って何か合うよね」

 

(え、本当に? その画面をちょっと見たいな……)

 

 彼女の存在に心が引き寄せられるような感覚がした。何か未知なる魅力に心の底から引かれているような、説明できない感覚だ。しかし、他人の会話に割り込むのは気が引けたので、箸を止めずに食事を続けた。

 

 夕食のデザートはクリスマス向けのチョコレートショートケーキだった。僕にはちょっと苦い。早々とデザートを平らげ、僕は食堂を出て部屋に戻った。

 一人で過ごしているとつい考え事をしてしまうが、その夜は何も考えずに眠りたかった。

 

――

 

 何事もなく、クリスマスイブの夜は明けた。夜の内に雪も止んだようだった。こんな日はまだ誰も滑っていないふかふかのパウダースノーが最高の御馳走だ。

 僕は急いで朝食を終えた後、除雪されていない道を歩いてゲレンデに向かった。

 

 リフトが開始するとすぐに山頂まで上り、新雪がそのままの状態で圧雪をされていない上級者向けのコースへと進む。早朝、圧雪車による整備が行われ、多くのコースは固く締まった状態になる。それも気持ち良く滑れるが、圧雪されていない新雪のパウダースノーは別格だ。

 

 僕はまだ誰の足跡もついていない真っ白な急斜面に飛び込んだ。すぐに身体は腰まで雪に埋もれた。軽やかなターンで、白いスプレーのように粉雪が舞い上がり、その感触はまるで天国のようだった。

 

(パウダー、最高だ!)

 

 スキーの浮力が活きるように少し後傾気味の姿勢となる。それから慌てずゆっくりとターンを繰り返す。そのゆっくりとしたリズムに合わせて息も弾む。硬く締ったバーンの滑り方とはまるで違う、パウダースノーだけの滑り方だ。

 

 このパウダーの滑りを上達してから味わうと、多くの人が虜になる。そして、このパウダー狙いの人が多いため、しばらくするとコースは荒れてしまう。今回も最高のクリスマスプレゼントだった。

 

(クリスマスに一人ぼっちだって悪くない!)

 

――

 

 僕は非圧雪コースがコブコブになるまで繰り返し滑り、パークエリアに向かった。パークではディガーと呼ばれる整備担当者が、キッカーを手作業で整備している。パークはまだ一部しかオープンしていなかった。

 

 このスキー場はパークエリアの充実がセールスポイントになっている。パークエリアとは、ジャンプやトリックができる特別な区画のこと。その中でも特に「キッカー」と呼ばれるジャンプ台は、仕上がりが滑者の安全に直結するので、丁寧な作業が必要になる。

 昨日もパークの中を何度か流したが、雪不足のシーズン初めのこの時期にしては大きなキッカーが造成されていた。

 

 僕が整備中のキッカーのスタート位置に立っていると、整備担当者がOKの合図を送ってきた。それを見て僕も右手でストックを上げて、スタートの意思表示をする。

 

(最初は軽くテストジャンプをしてみよう)

 

 僕はそう思ってスタートした。その日の一本目のジャンプなので力を抜いてストレートに飛び、キッカーの様子を見るつもりだった。

 

(――あっ! ――彼女だ!)

 

 助走を始めてすぐ、向かっているキッカーの横に昨日見かけたコスプレの女性がいることに気づいた。

 透き通るような髪の女性が目に入った。彼女は白い着物を羽織り、ウサギのようなぬいぐるみを抱きながら、スノーボードで立ち止まっていた。彼女の目が、僕の方をじっと捉えている。

 

(目が合った!? いや、今はジャンプに集中……でも)

 

 予感めいたものが僕の中で鳴動し始めた。軽くテストジャンプをするつもりだったが、彼女の目と合ったその瞬間、心の中で何かをクリックした。そして僕の中の隠されていたスイッチが入った。その瞳は、氷のように青く輝いていた。ただの青ではなく、まるで深海の底や夜空にも似た神秘的な色合いで、僕の心を引き寄せるような力があった。一体、彼女は何者なのだろう?

 

 

  つづく

 

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