その日は竹早小学校での小学校教員資格認定試験3次試験の二日目でした。普段より帰りが早いので駅のスーパーで缶ビールを買い、家に帰ってビールを飲みながら夕飯を家族と食べ、「ピアノの森」を子どもと一緒に観ました。
  
 「ピアノの森」は青年漫画が原作のアニメ映画で、主人公の少年カイがピアニストとしての才能を開花させるまでの話です。ただ映画ではカイの才能が開花しても、それが評価にはつながりません。カイ自身も何をどう弾くべきか悩み、葛藤の末に自分の音楽を見出します。
  
 さて、私はこれからどうしよう?
  
 その時の私はそう思い、そしてメモを残していました。
  
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 取り敢えず予定していた今年のイベントは終わりました。年末まで認定試験の最終合否は分かりません。しかしクリスマス・プレゼントが届くまでのんびり待っている余裕もありません。教員という職を手に入れることを優先し、予備校に通って合格テクニックを磨くことも選択肢だと思います。去年の2次試験の後には東京アカデミーから教員採用試験対策講座の願書を取り寄せていました。
  
 ただ、私は単に職に就くためだけに教員を目指していたのだろうか?
  
 私は今の会社を誇りに思っているし愛着もあります。居心地だって、給与だって悪くありません。リストラされない限りは居続けた方が得だと思うこともあります。
 昨春のリストラ危機も本社部門への異動という形で良い方向に乗り切ることができました。
  
 それでも収入が半分以下になってもいいから今から教員になりたいと思ったのは、「人がいなくても済む仕組み」を作り出すことではなく、人生の後半は「人を育てる」仕事をしたいと思ったからです。
  
 私はITや業務改革に関するプロだと自負していますが、会社には私より優秀な人材が幾らでもいます。そう、私の代役は他にもいます。だからこそ代役の決していない大切な個というものを守り育てる仕事をしたいと思ったのです。
  
 今の私の仕事の延長線として教員をするのであれば、私が成すことは学力の高い児童を量産化することでしょう。しかし、私が育てたいのは画一的な物の見方をして平均的な学力を持つ、当たり障りのない子どもたちではありません。例えば「ピアノの森」のカイのように学校では馬鹿にされてばかりだけれど実は秘めた音楽の才能を隠し持っているような子どもを見出すことだった筈です。
 そう、単に教員になれれば良いという訳ではないのです。
  
 教員資格認定試験の3次試験の二日間、色々と考えさせられました。竹早小学校の活気ある児童、講話や観察対象の授業をして下さった教育への情熱のある先生方、そして同じ教室の中で時間を共にした受験生。見た事や聞いた事だけではく、それら全てが私の五感を通じて心の芯まで染み入りました。
  
 そして私は普通の先生には向いていないことがよく分かりました。

 今から私が新卒や若い方々と同じように普通の教員を目指してはダメなのです。やっぱり私は普通の教員にはなれません。
  
 もし教員になれたとしても、トラブルの多いちょっと変わった先生。ありのままの自分でいれば、きっとそう呼ばれることでしょう。
  
 だから遠回りになるかも知れないし理想は叶わないかも知れませんが、私は私らしく自分を信じて自分の道を進みます。いつまでもこの気持ちを忘れないように記録に残します。

 

 

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