第1章:ある夏の河口湖

1.4 花畑の先の茅葺き屋根の家


 私たちは花畑の中の道を通って、少女の家に向かいました。振り向けば富士山が見えるとても風光明媚な場所です。

 

 車は通行の邪魔にならない所だったので、その場で置いたままにすることにしました。ただ、車の故障について連絡すると現地対応が翌日になるということでした。私は取り敢えず少女の家に行って休ませて貰い、それからタクシーを呼んで近くの宿に移動するつもりでした。

 

「とても素敵な場所だね」

 私は少女に言いました。

 

「はい。私のお気に入りの場所です。どの季節も良いけれど、畑で一斉に咲く夏の向日葵が一番好きです」

 少女は笑顔に戻っていました。

 

 

 少女の家は河口湖の隣にある湖の畔にある茅葺き屋根の家が多い集落で、家に着くとおじいさんとおばあさんが待っていてくれていました。

 

「さっき電話で大体の事情は聞きましたが、大変な思いをされましたねえ」

 おじいさんがそう言いました。

 

「ええ。まさか、車まで壊れるとは思いませんでした」

 私はそう応えました。

 

「まぁ、ゆっくり休んで下さい。どうぞどうぞ」

 おばあさんは笑顔で私を家に招き入れてくれました。

 

 その家は平屋でしたが民宿をしていたような佇まいで、部屋が幾つもあり、私は荷物を置くとおじいさんにお風呂場に案内されました。お風呂場からは外に出られ、そこには露天風呂がありました。

 

 

「ここの温泉は疲れに効きますから、ゆっくり浸かって下さい」

 おじいさんがそう言いました。

 

「ありがとうございます。露天風呂があるなんて凄いですね。以前は宿だったのですか?」

 私はおじいさんにそう訊ねました。

 

「ええ。ずっと昔の話ですが」

 おじいさんはそう答えるとお風呂場から出て行きました。

 

 私は温泉に浸かりながら、この家のことと今日これからのことについて考えました。

 

 ただ、考えると言っても、場面場面に合った幾つかの選択肢から選ぶようなことだけで、全く見当違いのことを深く考えることはできません。

 夢の中で夢であることを自覚できていても、好き放題にできる訳ではなく、自分の意識さえも流れに乗った状態で辛うじてアレンジできる程度です。

 

 この夢の流れに抗おうとしたり、恐怖を感じた時、以前はよく金縛りに遭いました。

 

『古い建物だけど、これだけ立派な造りならば、以前は栄えていたに違いない。この家には他の家族がいないのだろうか?』

 

『部屋が空いているのであれば、もしかしたら泊めて貰えるのではないだろうか?』

 

 私はそんなことを考えながら温泉から出ました。

 

 私がお風呂から出て部屋に戻ると、テーブルの上には夕食の支度がしてありました。それは鍋料理でした。

 

 

 部屋を開けたまま私が中に入るのを躊躇っていると、おじいさんが手招きをしました。

 

「さあ、入って下さい」

 おじいさんは私にそう言いました。

 

「夕飯の支度をして頂いて、申し訳ないです」

 私は部屋の中に入りました。

 

「何もお構いできませんが」

 料理をテーブルに並べていたおばあさんも笑顔でした。

 

「最近は猟ができていないので、恥ずかしながら肉なしの鍋なんですよ」

 おじいさんが言いました。

 

「次こそは猟を頑張って、美味しい鍋を作らせてくださいね」

 おばあさんがおじいさんに言いました。

 

「いえいえ。野菜もきのこも大好きですから」

 私がそう答えて席に座ると、お風呂上りで浴衣に着替えた少女も部屋に戻って来ました。

 

「綺麗な浴衣だね」

 私は少女に言いました。

 

「ありがとうございます。母の形見の浴衣なんです」

 少女はそう言って私の横に座りました。

 

 私は夕飯をご馳走になりました。鍋は色々なキノコと野菜、それにほうとうが入った鍋です。『狸鍋では?』とも疑いましたが思い過ごしでした。そして、私がこの家への久々の来客だったらしく私は歓迎されました。

 

 

 私はその晩は泊めて貰えることになり、夕食後もおじいさんと一緒にゆっくりとお酒を頂いていました。

 

 

 少女とおばあさんは、食べ終えた食器を片付けてお盆に乗せ、お盆を手に部屋から出て行きました。

 私は少女が部屋から出て行ったことを確認して、お酒を飲みながらおじいさんに少女の祟りについて聞きました。

 

 祟りは今に始まったことではなく、少女の両親も祟りが原因と思われる事故で亡くなったそうです。祟りを祓う方法が分からず、ずっと困っているということでした。

 

「カチカチ山の狸は兎を恨んでいるかも知れませんが、この家は兎と何か関係があるのですか?」

 私は訊ねました。

 

「実は、この家は代々カチカチ山と言われる天井山の頂上にある小御嶽神社を管理していたのですが、私の代から管理を辞めさせて頂いたのです」

 

「カチカチ山って、ロープウェイが架かっている所ですか?」

 

「ええ。昔は地元の人間だけが行く祈願所だったのですが、ロープウェイが架かって公園ができ、兎を祀ったうさぎ神社も建てられて観光地になりました。それで、どうも合わなくて管理を辞めさせて貰ったのです」

 

「そうだったのですか。ロープウェイで公園までは何度か行っていますが、山頂には行っていませんでした」

 

「今は地元の人間でも参拝する者など殆どいない小さな祈願所ですよ」

 

「少し気になりますね。何かお力になれれば良いのですが」

 私はおじいさんに言いました。

 

「お気持ちだけでもありがたい」

 おじいさんはそう答えました。

 

 

 それから少しして、私は少女に食事を頂いた隣の部屋に案内されました。そこには既に布団が敷かれています。

 

「布団まで敷いてくれたんだ。ありがとう」

 私は少女にお礼を言いました。

 

「どう致しまして。今夜はゆっくり休んで下さい。おじいさんとおばあさんも喜んでいたので、あなたに来て貰えて良かったです」

 少女はそう言って部屋を後にしました。

 

 私は布団に入り、翌日は天上山の山頂に登ろうと思いました。

 

『これは私の夢の中だから私が何かしらで解決できるかも知れない』

 私はそう思い、何か解決策がないか考えました。

 

 夢の中で眠ると目が覚めると言われますが、必ずしもそうではありません。夢の中での時間の進み方は一定ではなく、何日も過ごしていた筈なのに目が覚めると一晩しか経っていないということもあります。

 

 そんなことを考えていると、障子の向こう側から誰かが中を覗いていることに気付きました。私は起き上がろうとしましたが、想定外の事態で金縛り状態になってしまいました。

 

「誰ですか!」

 辛うじて声が出せました。

 

「なあんだ。まだ寝ていないのか」

 そう声がして障子が開きました。

 

 二つの影がゆっくりと近付いて来ます。その姿は少女でもおじいさんやおばあさんでもなく、恐ろしいモノに感じられました。

 

 一つの影が私の頭の上で凶器のような物を大きく振り被りました。

 

「では、ご機嫌よう」

 そう声がして、それが振り下ろされました。

 

 その瞬間、それが頭に当る直前、私の目の前で光が大きく弾けました。

  

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