第3章:上野での冬のはじまり

3.3 八幡宮の夢での別れ


 私は大蛇が言ったように、この時代の武将にとって戦国の歴史を知っている者は脅威だと思います。なので、私は八幡宮に着く前にコノハさんに記憶が曖昧になったことにして史実を余り詳しく話さない方が良いと伝えました。

 

 私たちが八幡宮に行くと北条の武将が待っていて、北条家の行く末を知りたがっていました。三増峠で武田に大敗した後なので、北条家の行く末が心配だったのだと思います。

 コノハさんはその武将に当たり障りのないことを話しました。未来でも国と国との争いは続いているが、ここに来てから未来の記憶が段々と薄れてしまい、この時代の国々がどうなったのか分からない。ただ、北条家は戦乱の世が終わった後も続いていたと思う、と話しました。

 何れ北条氏は豊臣秀吉に攻められて小田原城が開城した後に領地の大半を失うことになりますが、まだ20年以上も先のことです。その後も小さいながら大名家として残ったので嘘ではありません。その武将はコノハさんの話を聞いて安堵し、気分よく帰って行きました。

 

 その後で、私はコノハさんだけを話があると誘い、八幡宮の近くにある相模川の土手を二人で歩きました。

 

「これって、夢なんですよね? なかなか覚めないだけで、また二人で同じ夢を見ているんですよね?」

 

 私はコノハさんの質問に直ぐに答えられませんでした。

 

「私とコノハさんにとっては夢だと思う。だけど、もしかしたら他の人にとっては夢ではないのかも知れない」

 

「実は私、高校の部活動中に横山丘陵の鏡の泉を通ってこの時代に来てしまったんです。でも、よく考えると私は高校を卒業している筈なんです。だから、それ自体が夢だったと思うんです。だけど、何度泉に入っても元の時代に戻れないんです。何度寝て起きても夢から覚めないんです。どうしたら夢から覚めるんですか?」

 コノハさんは縋るように訊ねて来ました。

 

「夢だと分かっているのに夢から覚めることができないのは辛いよね。鏡の泉のことは知らないけれど、私も夢の中で何日も過ごしたことが何度かある。大抵は夢の中で予期しないことがあったり、寝ている身体の方に刺激が加わると目が覚める。だけど、とても長い夢を見ていた時は命の危険が迫った時に目が覚めた」

 

「じゃあ、もっと危険な目に遭わないと覚めないんですかね」

 

「いいや、危険な行動は取らない方がいい。私が長い夢を見ていた時は、起きたら実際には一晩しか経っていなかった。だけど、今のコノハさんのケースは違う。実はセオリさんからコノハさんのことを相談されているんだ」

 

 私はセオリさんから聞いたコノハさんの様子が変わっていることを伝えました。

 

「それじゃあ、眠っているアキの意識が私の身体に入っているんですか?」

 

「うん。きっとそうだと思う。この道澄という修験者の身体に私の意識が入っているように」

 

「それなら、私自身が目を覚ましたら、アキはどうなるんですか?」

 コノハさんはとても心配そうです。

 

「ごめん。分からない。だからコノハさんには辛い期間が長引いてしまうけど、アキさんを目覚めさせるのを優先した方が良いと思う」

 私は答えを持ち合わせていませんでした。

 

「アキって私の祖先だと思うんです。だから仕方ないです。蛇を退治するまで、このままですね」

 彼女はとても寂しそうに言いました。

 

「直ぐに助けられなくて本当にごめん。さっきは望月千代女に憑りついて向こうから現れたのに逃げられてしまった。あれは妖怪や悪霊の類ではなくて、呪術の効かない龍や蛇の神のような存在だと思う」

 

「神様なんですか?」

 

「きっと龍神や蛇神と呼ばれる存在だと思う。さっきは憑りついていた身体から追い払うことしかできなかったけど、何か策はあると思うんだ」

 

「河口湖でも鬼や弁天様を倒したんですものね」

 コノハさんは少し笑顔になりました。

 

「あの時は鬼に襲われて一度目を覚ましたんだ。だから、どうしたら鬼を倒せるか調べて、次の晩に夢を見た時に『童子切安綱』という鬼を斬る刀をイメージして具現化できたから退治できた。だけど今回は武器を出せなかったんだ」

 

「そうだったんですね」

 

「うん。でも代わりにこの身体では呪術が使えて助かった」

 

「私も最初は弓と矢を出せたんですけど、アキが倒れてから出せなくなってしまったんです」

 

「アキさんが倒れてからずっと出せないのかい?」

 

「はい。できません」

 

「私の場合は意識が道澄という人物に入っているから、この時代の道澄の身体としての制約がある。だけどコノハさんにはそういう制約がない。だから意識を強く持って、自信さえ取り戻せば、また出せると思うよ。できるって強く信じるんだ」

 

「そう言えば、あの夜も餓鬼に襲われて弓が消え、道澄さんに励まされたら弓と矢をもう一度出せたんでしたね。でも、別の道澄さんだから覚えていないですかね?」

 

「いいや。あの時の道澄としての記憶は共有しているよ。きっとできるよ」

 

 彼女は自信を取り戻したようで大きく頷きました。コノハさんは大きく深呼吸をしました。すると手の先が光り、弓と矢が現れました。

 

 私はその夜はコノハさんがお世話になっているアキさんとアイさんの家に、共の者と一緒に泊めて貰うことにしました。ただ、蛇神が自分の世界に帰ると言っていた場所も、倒す方法も分かりません。このまま残っても時間を消費するだけの気がしました。

 このため私は一度意識を元に戻し、分かったことを整理して調べ、対応策を考えた上で出直すことにしました。

 

 コノハさんやアイさんと一緒に夕食を取り、その後、河口湖の夢の時のように布団の敷かれた部屋に案内されました。

 

「河口湖の時と一緒ですね。でも、あの時は鬼に攫われてしまったけど、今は退魔の弓も破魔の矢も出せるから鬼が来ても怖くないですよ」

 

「頼もしいね」

 

「これでしばらくお別れですかね」

 

「蛇神や鏡の泉のことを調べたら必ず戻って来る。だけど、戻る時間がどこになるかは何とも分からないんだ」

 

「はい。信じて待ってます。でも、元の道澄さんだって、凄くしっかりした良い人なんですよ」

 

「そうだろうね。コノハさん、お姉さんやセオリさんに伝えることはあるかい?」

 

「……夢の中のコノハは、元気だったと伝えて下さい」

 コノハさんは泣き出しそうな顔を堪え、作り笑顔をしています。

 

「うん。分かった。必ず伝える。じゃあ、おやすみ」

 私も辛い気持ちを隠して笑顔で応えました。

 

 

 

【目次】【前話】【次話】