私たちは鎌原村の宿で朝を迎えました。私は夕食場所とは違う部屋で休ませて貰い、輝虎様と千代女さんが酔い潰れているであろう部屋の様子を見に行きました。
部屋まで来ると戸が開いて道澄さんが出て来ました。
「おはようございます。昨晩は輝虎様と千代女さんに絡まれて大変でしたね」
私は道澄さんに挨拶をしました。
「コノハさん、おはようございます。かなりお酒を頂いてしまったようです。実は、そのためだと思いますが私の中にいた彼は元の世界に戻ったようです」
「えっ! そんな」
「でも安心してください。元々私と彼は目的が同じですから、彼がこの世界でしようとしていたことは私の記憶に残っています。それに、この村の未来のことも」
道澄さんは優しい顔でそう答えてくれました。
そう話していると輝虎様と千代女さんも起きて来ました。二人は昨晩のことを余り覚えていないようでした。昨晩は道澄さんを取り合っていがみ合っていたのに、二人はいつの間にか親しくなっていました。
「コノハ様、これから龍蛇退治だというのに、本当に大丈夫でしょうか?」
二郎さんが心配そうに言って来ました。
「うーん。きっと……」
私は上手く答えられませんでした。
朝食を頂いて村を出る時、挨拶に来た近くのお寺の方に道澄さんが村の高台に人々が集えるお堂を建てたらどうかと提案していました。きっと私と会話した浅間山の大噴火のことを記憶していたのだと思います。
「高台のお堂か、それは良いな」
輝虎様は良い考えだと頷きました。
「道澄様が勧めるのであれば、私も協力しますよ」
千代女さんも輝虎様に続きました。
「道澄さん、私と話したことを覚えていたんですね」
「ええ。知識はありませんが、あなたと噴火のことを話した記憶は残っています。不思議ですね。自分の意識ではなかったのに」
道澄さんはそう言って笑っていました。
私たちは、千代女さんの案内で浅間山の中腹にある洞窟まで来ました。そこは以前の浅間山の噴火による溶岩流で作られた洞窟です。
輝虎様の家臣と唐沢玄蕃という方が先に洞窟に着いていて、松明を準備してくれていました。
「この先が龍蛇の巣窟と思われます。先に行って調べて来ましょうか?」
「どうします?」
唐沢玄蕃という人に続いて千代女さんが道澄さんに訊ねました。
「この闇の奥には無数の魔物がいるようです。先に進むのは危険でしょう。コノハさん、破魔の矢を出して貰えますか?」
道澄さんはそう答えました。
「はい。分かりました」
私は退魔の弓と破魔の矢を具現化しました。
道澄さんは矢を手に取ると印を切り、矢に向かって呪文を唱えました。すると破魔の矢は光り出しました。
「この矢を闇の奥に放ってください」
そう道澄さんに言われて私は弓を強く引き、光る矢を真っ暗な奥に向けて放ちました。光の矢は束となってどんどん広がり、辺りを照らします。
『ギャアー、アー、アー、アー』
と悲鳴のような音が響き、洞窟の中は明るくなりました。
「流石だな。これで松明を持つ必要もない」
輝虎様が感心しています。
「それほど長くは持ちませんが、ここで龍蛇を呼び出しましょう」
道澄さんはそう言って、明るくなった洞窟の中に少し進み、何か呪文を唱え出しました。
「誰だ! 私を呼ぶのは」
三増で見た有鹿姫の姿をした女性が現れました。
「お前は有鹿姫!」
二郎さんが叫びました。
「有鹿姫?ああ、あの時の小僧か。見る者によって姿は異なる。人間は私の姿を都合よく想像し、勝手に名前を付けて呼んでいるだけだ」
そう言うと下半身が蛇の姿に変わりました。
「龍蛇様、先日は私を導いて頂いたようで、その御礼に参りましたよ」
「お前は望月千代女か。諏訪信仰を広める巫女頭のお前が私に逆らうのか」
「亡者を操り、人を襲う神になど、お仕えした覚えがありません。諏訪神社の巫女として、お鎮めに参りました」
千代女さんが答えました。
「私を鎮めるだと。ここは龍穴の中、人間如きに何ができる」
「道澄、この蛇女を退治すれば良いのか?」
「そうです。輝虎殿」
「輝虎だと?」
「そうだ。この上杉輝虎が水神切兼光の太刀を持ってお前を成敗しに来た」
「たかが意識を失った女一人を救うために、上杉輝虎が浅間山まで来たのか?」
下半身が蛇の女性はそう言って笑い出しました。
「道澄、もう斬って良いか?」
輝虎様は刀を抜き、振り被りました。水神切りの刀がキラリと光りました。
「まぁ待て、上杉輝虎。それに道澄。そなたたちは只者ではない。また、そこの女もこの世の者ではなく、価値が知れ渡れば女を巡って争いも起こるだろう。しかし、代わりに倒れた女に、そなたたちがここまでする価値があるのか?」
「アキは平凡な女の子かも知れません。でも私にとっては大事な人です。人の命に価値の違いなど私はないと思います」
私は下半身が蛇の女性に言い返しました。
「面白い。お前のいた世界では人の命の価値は同じなのか?」
「私はこの世でも同じだと思っています。生まれや育ちが違えども、悠久の時から見ればたかが数十年の人生で、天から見れば何の違いがあるのでしょう。誰であろうと命を粗末にして良い訳がない。だから輝虎殿も正義のために戦を続けている」
私に代わって道澄さんが答えてくれました。
「私は諏訪の神主が武士となった頃、御射山《みさやま》に建てられた小さな社に祀られた。社の周辺は草原や湿原が広がり、良い狩場でもあった。毎年夏には御射山御狩神事が開かれ、諸国から選りすぐりの武士が集って騎射や相撲、狩などの技くらべをして私を楽しませてくれた。長い年月に渡って武士たちは我らを敬い、諸国に社を建てて招いてくれた。しかし、私を祀り敬って来た諏訪下社の金刺氏は上社の諏訪氏に滅ぼされ、その諏訪氏も武田氏に滅ぼされた。そして武芸を競う場であった御射山祭は廃れてしまい、武芸ではなく悪知恵のある者がのし上がり、国を獲り合う世になってしまった。そんな醜い争いは見たくない。三増で多くの武士たちが未練を残して命を落とした時、その地の諏訪神社に私が耳を傾けると成仏できずに漂っている小沢城の有鹿姫の嘆きが聞こえた。そして私は有鹿姫を使って餓鬼悪霊を従え、亡者の国を作ろうと思った」
「それが上手く行けば、同じように諸国に傀儡を作り、亡者により全てを支配するつもりであった」
下半身が蛇の女性が語りました。
「あなたは戦乱の世を変えるため、生者に祀られるより、死者を操ることを選んだのですか?」
道澄さんが問いました。
「そうだ!最早人間どもに任せられん」
「確かに未だ争い続ける人間は愚かです。しかし道に迷い、過ちを繰り返しながらも、人間自身で必ず解決できるます」
「お前たちで醜い戦乱を終わりにできるのか?」
下半身が蛇の女性が訊ねました。
「できる!私が倒れても必ず誰かが後を継ぐ」
輝虎様が力強く答えました。
「この時代にコノハさんが来て、未来があることを示してくれました。あなたが亡者を操らなくても、私たちが戦乱を治めます」
「そうか、いいだろう。私を二度も追い詰めたお前が言うのであれば、暫く様子を見てやろう。道澄、お前はこの戦乱の世を最後まで見届けよ! 呪いは解いてやる」
下半身が蛇の女性は龍蛇に姿を変え、光を放って消えて行きました。
「道澄、退治し損なったな」
輝虎様が言いました。
「いいえ。輝虎殿のお陰で、退治以上の成果がありました。コノハさん、これでアキさんは目を覚ましますよ」
道澄さんが輝虎様に答えた後、私に優しく声を掛けてくれました。