家の裏が建設会社の工場になり、家計を助けるためにお母さんがそこで働くようになっていた。工場に隣接して社宅が建ち、多くの人が住んだ。
デメから産まれた二匹の兄弟がそこに貰われた。一匹はタマ、もう一匹はクロベエと呼ばれ、彼らはデメに会いによく実家に戻って来ていた。
それに貰い手が決まっていたのに直前で断られた子供もいた。そのオスの子猫はゴエモンと名付けられてこの家の家族になった。
私がこの家に来たのは、ちょうどその頃だった。
私は来て間もなく家族に川原に連れて行って貰った。新しい家族との初めての外出だった。昨日のように思い出せる。楽しかった。
川には冷たい水が流れていた。それが面白くって中に入って水遊びをした。お兄さんとお姉さんが私と遊んでくれた。
そして私が家族と家に帰るとチーコが近付いて来た。
「川に行って来たんでしょ?」
「うん。楽しかったよ。川って水がずっと流れていて面白いところだよ」
「私はあなたが川で捨てられて来ると思っていたわ。良かったわね、帰って来れて」
「えっ、どういうこと?」
予想外のことを言われてぼくは言葉を失った。
「そうね。デメに内緒にできるのなら教えてあげる」
「うん、内緒にするよ」
「それなら本当に内緒にするのよ。私やデメの子供の殆どは、その川に産まれて直ぐに捨てられるのよ」
それからチーコは私にミーコから聞いていたことや昔の出来事を話してくれた。
私は聞いてもチーコの作り話だと思って信じなかったし、そんなことをデメに話すつもりもなかった。
私が来た頃のこの家はとても賑やかだった。家にはチーコにデメ、ゴエモンが居て、タマやクロベエが時々戻って来る。
夜になると工場の社宅に住んでいる人が毎日のように入れ替わり立ち代り遊びに来て、家でお酒を飲んだりカラオケで歌ったりしていた。
私も川原のバーベキューにはよく連れて行って貰ったし、クロベエを貰ったおじさんが私を散歩に連れて行ってくれるようになった。
そんな楽しい日々が続いても、チーコだけは距離を置き、輪の中に加わらなかった。
やがてチーコの口の中に腫瘍ができ、ご飯も余り食べられなくなった。痩せ細り、咳をするようになった。
しかし病気になってもチーコはお父さんやお母さんに甘えたり頼ることはしなかった。僅かなご飯を食べると直ぐ誰もいない場所に篭った。
ある晩、チーコだけがご馳走だった。チーコは喜んで大好物のマグロの刺身を食べた。みんなはチーコが病気だから特別なのだと思った。
次の日、私はお母さんがチーコを自転車のカゴに乗せてどこかに連れて行くのを見た。お母さんが帰って来た時にチーコは一緒にいなかった。
夜、お兄さんとお姉さんがチーコが帰って来ないことに気が付いた。
「お母さん、チーコがいないよ」
「どうしたんだろうねぇ」
お母さんは行く先を知っている筈なのに答えなかった。
そして何日か後、お兄さんがお母さんに酷い剣幕で詰め寄った。
「チーコが家出をする訳がない。チーコを保健所に連れて行ったんだろ!」
お兄さんは保健所の広報誌を手に持っていた。それには飼えなくなった犬や猫を引き取る案内が掲載されているようだった。
チーコがいなくなった日と引き取りの受付日が一緒だったらしい。そしてお母さんはチーコを保健所に出したことを認めた。
お兄さんとお姉さんは泣きながらお母さんに怒った。
お母さんは保健所に行っても殺されるとは限らないと言ったが、病気で出された老猫が助けられる可能性などなかった。
私はその会話を外から聞いていた。そしてチーコが私に話してくれたことも本当のことだったのだと信じるようになった。
デメは母の不遇を知り、それから元気がなくなった。そして後を追うように4ケ月後に死んでしまった。