第2章 僕が過ごした彼女との時間

第7話改 僕の晴れたコトと吹雪くトキ(2)


 僕たちは滑るのに夢中で、気がつくとお昼をとうに過ぎていた。前日と同じレストランで、カレーライスとサイダーを再び注文した。

 

「こうしてアキラと会えて、本当に嬉しいわ……」

 

 ふと雪姫が呟いた。

 

「えっ? 僕は、ただスキーのジャンプが少し得意なだけだけど……」

 

「――そんなことないよ。アキラに会えなかったら、まだ人探しをしていて、きっとカレーを楽しむ暇もなかったわ」

 

 彼女は笑顔で言った。

 

 彼女の笑顔を見つめながら、僕は昔の記憶を思い出した。

 

「雪姫、実は、子どものころ、このスキー場で遭難したことがあるんだ」

 

 彼女の目が驚きで大きくなった。

 

「本当に?」

 

「うん。そのとき、助けてくれたのは、大きな蓑を被った子どもだったんだ。このスキー場って、雪女や雪ん子の伝説があるから、僕は雪ん子が助けてくれたんだと、ずっと思っているんだ」

 

「そうだったのね……」

 

 そう呟くと彼女はしばらく何かを考えているようだった。

 

「雪女や雪ん子には、人を襲うとか、人攫いをするとか、別の伝説もあるみたいだよね」

 

「それは間違い。そんなことないわよ!」

 

 雪姫が急に不機嫌になった。

 

「僕もそんなことはないと信じているよ。あの日、本当に助けてくれた雪ん子に、心から感謝している。あの子がいなければ、今の僕はここにいなかったかもしれない」

 

 僕は彼女の反応に少し戸惑いながらも、話を続けた。

 

「その気持ちは、きっと雪ん子にも伝わるわよ」

 

 彼女の目には、一瞬、輝きのようなものが見えた。

 

「そうだといいな。ありがとう、雪姫」

 

 僕は彼女に感謝の言葉を伝えた。

 

 雪姫は、この土地に家族と住む者として、きっと僕が知らない伝説を把握しているのだと思う。それを受け継ぐべき伝統のような形で、きっと大切にしている。

 彼女の目に涙のようなものを見つけた。彼女の涙に、何か隠された意味があるなどとは、僕は思いもしなかった。彼女がふっと目を伏せる。僕は彼女の優しさと暖かさに心から感謝した。

 

――

 

 レストランを出ると、もう午後3時を過ぎていた。昼食を遅めに取ったし、お互いの話に夢中になっていたからだ。

 

「ねえ、これからパウダースノーを滑れるコースに行かない?」

 

「えっ、バックカントリーの自己責任エリア? そうだな……時間的にギリギリだけど、装備は揃っているし、天気も良いから行ってみる?」

 

 このスキー場には非圧雪のコースが幾つかあり、上級者だけがバックカントリーを体験できる自己責任エリアと呼ばれる場所がある。山頂の指定場所からアプローチするが、そこは雪崩の発生地帯や崖周辺と違って、立入禁止になっていない。重装備が必要なオープンバーンのバックカントリーより危険はないが、規制ポールやロープ、ネットで囲われておらず、スキーパトロールによる巡回もない。要は、スキー場内ではあるが、冬山登山と同等の扱いになり、何があっても自己責任となる。

 

 僕たちが上質なパウダースノーを楽しむ中、突如として雪交じりの強い風が吹きはじめた。ついさっきまで快晴だった空が、見る見るうちに黒い雲に覆われる。そして吹雪になった。

 

 先頭を滑っていた僕が止まると、彼女もすぐ後ろで止まった。 

 

「雪姫、ごめん。こんなに天気が急変するとは思っていなかった。僕の判断が間違っていたね」

 

「アキラが悪いんじゃないよ。誘ったのは私だし。天気の変わりやすさは、ここの特徴の一つよ」

 

 雪姫は冷静に答えた。

 

「気温が下がってきたけど寒くない?」

 

「うん。大丈夫だよ」

 

「それならいいけど、視界が悪いから、このまま滑りつづけるのは止めよう――。迷ったら危険だから、早めにビバークできそうな場所を探そう」

 

(僕だけなら無理して滑るけど、彼女を危険にさらすわけにはいかない。それに僕のウェアは、アウターもインナーも高性能なスキー用だけれど、雪姫の服装はそう見えない。明るい内に雪洞を作らないと……)

 

 突然、遠くの方で何かの音が聞こえた。それは、明らかに動物の叫び声だった。

 

「何だ、あれは……?」

 

 僕が驚きの声を上げると、雪姫はあまり驚いていないように見えた。

 

「あれは熊だと思うわ」

 

 彼女の声には不自然な冷静さがあった。

 

「冬のこの時期は、普通は冬眠してるはずだけど……」

 

「お腹が空いて目が覚めてしまったのかも? 熊が出るかもしれないから、他の場所に避難しましょう」

 

「確かにそうだけど……」

 

「アキラ、この近くに山小屋があるの。そこに行きましょう。きっと安全だと思うわ」

 

「えっ……、あっ、雪姫は地元なんだったね。場所はわかるの?」

 

「うん、わかるよ……。あっちだよ」

 

 雪姫は木々の奥を指差した。彼女の動作や話し方には、何か秘密を抱えているような印象を受けた。

 

 雪姫の先導で、僕たちはゆっくりと斜めに滑った。木々の間を通り抜けると、その先には彼女が言うように小さな山小屋があった。安堵の表情を浮かべる僕の目の前で、雪姫はにっこりと微笑んだ。しかし、その微笑みには何か他の意味が隠されているようにも見えた。

 

 

  つづく

 

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