第1章 僕が出会ったコスプレの彼女

第3話改 僕のキャンセルしたかったコト(2)


 サークルの活動には結構な費用がかかる。高校まではスキー道具を買うのも旅費も親に甘えていた。しかし、次からは自分で資金を工面したいと思った。そして僕は先輩の紹介で、先輩と同じファミレスでアルバイトをすることになった。

 

 それまで働いた経験はなく、人との交流が苦手な自分に務まるのか不安だった。新しい場所、初めての接客、仕事としての責任、僕は胸の高鳴りを感じながら、アルバイトの初日を迎えることになった。

 

◇――今年の夏の終わり

 

 まだ厳しい残暑が続く中、緊張と期待が入り混じった気持ちで、初めて店内に足を踏み入れた。すると先輩が明るく声をかけてきた。

 

『よー、新人君!  楽しんで働こうね!』

 

 僕は先輩と同じフロアスタッフとなり、初日から先輩が丁寧にレジの操作やテーブルのセッティングの方法を教えてくれた。彼女の的確な指示と優しい声かけに、初日の緊張もすぐにほぐれていった。

 

――◇

 

 アルバイトでは、休憩時間の先輩とのおしゃべりが楽しみとなった。僕たちは適度な距離感を保ちつつ、とても良い関係を築けていた。彼女は、サークルでも、アルバイトでも、いつも僕に気を遣ってくれた。アルバイトでは、仕事のやり方だけでなく、人との関わり方を先輩から学ぶことができた。

 

 その頃にはもう、先輩は僕にとって、かけがえのない人になっていた。なぜなら、僕にとって人との深い関係は恐怖だった。祖母を失い、祖父も行方不明になってから、僕は人と深く関わることの危うさを痛感していた。でも、先輩は違った。彼女の明るさと優しさに包まれ、僕は少しずつその壁を破ることができた。それが、僕が先輩を特別な存在と感じる理由だ。そうして秋を迎えた。

 

◇――今年の秋

 

 ある日、アルバイトが終わった後、先輩と一緒に店を出ると、外は突然の大雨になっていた。先輩は傘を持っていなかったが、僕は折りたたみの傘を持っていた。

 

『おっと、傘忘れちゃったな』

 

 先輩は笑ってそう言った。

 

『先輩、これ使ってください』

 

 僕が傘を渡すと、先輩は少し驚いた顔をした。僕は濡れて帰る覚悟でいた。

 

『ありがとう、アキラ君。じゃあ、一緒に帰ろう』

 

 先輩は僕から渡された傘を二人の頭上に広げて、さっと傘の下に入ってきた。

 

『あっ……、じゃあ、傘は僕が持ちます』

 

 僕は広がった傘を受け取り、2人で傘をさしながら、駅までの道を歩いた。

 

『アキラ君、大分アルバイトに慣れて来たね。最初は心配していたんだ。アキラ君って接客が苦手そうだから、アルバイトに誘って悪かったな、と思って』

 

「最初は戸惑いました。だけど、もう慣れて来ました」

 

『大分変って来たけど、以前は、近寄りがたいオーラが強く出ていたから。昔、何かあったの?』

 

『ええ。小さい頃に……』

 

 僕は先輩に話すか否か迷った末に、先輩になら話しても良いと思った。

 

 その年の夏休み、僕は親元を離れ、可愛がってくれた祖父母の家で過ごしていた。祖父は大学の考古学者で、大学の用事があって不在の時、超大型の台風が襲来する。想定を遥かに上回る大雨となり、避難勧告より前に近くの川が氾濫した。祖母はペットの猫をケージに入れ、僕の手を引いて避難を開始した。

 

 避難所までの途中で水嵩が増し、祖母と僕は少し高い場所に退避する。救助の連絡をしている間、僕は祖母から猫の入ったケージを預けられた。しかし、僕は誤って、そのケージを落としてしまう。直ぐに手を伸ばせば良かったのに、僕は怖くて流れ出したケージに手を伸ばせなかった。

 

 僕が泣きながら呆然としていると、祖母は深い水の中に入り、流れているケージを追いかけた。そして、ケージを掴み、僕の方に向かって振り向く。祖母は笑顔だった。その時、木の裂けるような激しい音が聞こえ、焦げた土の臭いが鼻をつく。次の瞬間、目の前を土石流が過ぎ去り、祖母はケージと共にいなくなった。

 

 僕は助かったが、祖母は数日後に遺体として見つかった。それから優しかった祖父は人が変わってしまい、僕を避けるようになった。そして数年後、その祖父も行方不明となった。それから僕は人と関わるのが苦手になった。その出来事は僕を今でも苦しめている。

 

『アキラ君、話してくれて、ありがとう』

 

 話を聞いてくれた先輩の頬は少し濡れていた。僕は少し濡れた先輩から感じる甘い香りに、自分の気持ちが先輩に向かっていることを強く意識した。

 

――◇

 

 僕が先輩を一人の女性として意識するようになったのは、その夜からだと思う。しかし、今考えてみると、先輩にとっての僕は、危なっかしくて、一人でいるのを放っておけない弟のような存在だったのかもしれない。

 

 

  つづく

 

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