第1章 僕が出会ったコスプレの彼女

第3話改 僕のキャンセルしたかったコト(3)


 秋を過ぎる頃に、先輩を好きになっていることを痛感した。初恋というわけでもなかったけれど、それまでの感情とは全く異なる『好き』だった。その想いは強くはなっても、弱くなることはなかった。

 

 先輩は誰とも付き合っていないようだった。だからこそ、他の誰かに先を越される前に、失敗を覚悟で自分の気持ちを伝えたいと思った。

 

◇――今年の冬

 

 12月の初めのある日、アルバイトが終わった後、僕は先輩に気持ちを伝える決意をした。心の中で何度も練習していた言葉が、いざ言おうとすると重く感じた。手のひらが少しだけ汗ばみ、心臓の鼓動が急に速くなる。先輩がこれまでどれだけ僕に優しかったか、それを思い返しながら、一歩踏み出すことの重さと期待感が交錯する。何よりも、先輩に『はい』と言ってもらえたらどんなに幸せか、その未来の一瞬一瞬を想像していた。

 

 閉店後、二人でいつものように駅までの道を歩きながら、僕ははやる気持ちを抑えながら、先輩に声をかけた。

 

『――先輩は、クリスマスを誰と過ごすんですか?』

 

『誰とも何も、バイトでしょ。合宿の費用も結構かかるし……』

 

 その返答を聞きながら、僕は勇気を振り絞り、拳を握りしめた。

 

『そうですよね……。じゃあ、バイトの後、僕と二人でクリスマス会をしませんか?』

 

 僕の提案に彼女は驚いたように、僕の目をじっと見つめた。

 

『えっ? どういうこと?』

 

 彼女は意味がわからないようだった。深呼吸をして、僕は言葉を続けた。

 

『実は、先輩のことが好きなんです。僕と、付き合ってもらえないでしょうか?』

 

 僕の告白を聞いた彼女の瞳が、深い悲しみを宿しながらゆっくりと逸れる。

 

『あっ、そうなんだ……。そういうこと――』

 

 一瞬の沈黙を挟み、彼女が小さく呟いた。僕は察したが肯定したくなかった。

 

『僕ではダメですか?』

 

 僕は訊ねると、ほんの一瞬、彼女は悲しみに満ちた表情となった。

 

『ごめん、アキラ君。あなたは私にとって、大切な存在だけど、恋愛の感情とは違うんだ』

 

 先輩の言葉が鋭く胸に突き刺さった。血の気が引いてゆく。

 

『そうなんですね……』

 

 僕の目が濡れそうになったが、堪えて、深く息を吸い込んだ。

 

『本当にごめんなさい――』

 

 先輩はゆっくりと静かに答えた。僕は先輩の顔を見ることができなかった。帰りの電車の中、先輩の言葉が繰り返し頭の中で響き、心が何度も裂けるように痛んだ。僕は降りる駅に気づかないほど、心は動揺していた。

 

――◇

 

 先輩に告白しなければ、僕はクリスマスに先輩と一緒に笑いながら、ファミレスのアルバイトで過ごしていたと思う。

 そして、クリスマス明けから年末までは、サークルの合宿になっていた。だから僕が今こうして一人でスキーに来ることもなかった。

 

 僕は先輩の親切を、自分への恋愛的な好意と誤解していた。

 

(もう二度と自惚れた勘違いなんてしない――)

 

 僕は先輩の優しさや親しみやすさを、何か特別なものとして感じ取ってしまったのかもしれない。何度も一緒に時間を過ごし、笑いながら話していたから、僕の中では先輩は特別な存在になっていた。でも、それは一方通行の感情だった。

 サークルの合宿じゃなくて、告白をキャンセルできたら良かったのに……。そうすれば、今もあの日のように、自然体で笑い合えていたのかもしれない。

 

 苦い記憶を振り払うように、僕はスキーを走らせた。

 

 雪がキラキラと光を反射し、足元には新しい雪が積もっていた。遠くの木々の間からは冷たい風が吹き抜け、頬が少し痛むくらいだった。林間コースは、雪のない時期には林道になっていて、その途中に山の安全祈願で使われている小さな神社がある。僕はその前でスキーを停めた。ここは2年前に、僕が怪我をしたウサギを見つけた場所だった。

 

 僕はウサギのことを想いながら祈った。

 

(助けられなくてゴメン……)

 

 林間コースを滑っている最中だった。突然、微かな鈴の音と共に、冷え切った空気の中に、深い森の木々の香りが漂ってきた。その香りが、何故か京都で出会った女性の透明感のある髪や優しい声、そしてその特別な雰囲気を思い出させた。

 

(あの女性は、今頃どうしているのだろうか?)

 

 女性の容姿を思い浮かべながら、僕は林間コースを使って山麓まで降り、再びリフトに乗車した。

 

――

 

 リフトの乗車と滑走を何度か繰り返し、もうすぐリフトの営業が終わろうとしている。もう一度滑ろうと僕はリフトに乗った。

 眼下のゲレンデを眺めていると、変わった格好のスノーボーダーを見つけた。ただ一人で颯爽と急斜面を滑っている。それは、確かに2年前の夏に京都で出会った女性と同じ透き通った髪色だった。

 

(何かのコスプレをして、滑っているのかな?)

 

 透き通るような髪を束ねた女性で、専用のウェアではなく、白い着物を着ているようだ。ボードの上に何かマスコットのようなモノを付けている。よく見ると、ウサギのぬいぐるみだ。そして、キレのあるターンを描いている様子から、明らかに上級者のようだ。

 その女性が、リフトに乗車している僕の方に顔を向けた。一瞬、彼女と目が合う。僕はあることを思い出した。

 

(確か、2年前の夏に京都で出会った女性も、水のような透明感のある同じ髪色だった……あのときは、別れ際に『また、どこかでお会いできたら嬉しいですね』って言われたけれど、まさかね……)

 

 僕は見惚れてリフト上で振り返り、女性の姿が斜面に隠れるまで目で追った。

 

 クリスマスイブに、一緒に滑る相手もいない僕だったが、一人で滑る彼女を見かけることができて、少し幸せな気持ちになれた。

 

 粉雪が降り始めた。その中で、彼女の透き通る髪と白い着物が一瞬輝いたように見えた。まるで過去と未来が交差する瞬間のような、不思議な感覚に包まれた。僕は京都で出会った女性のことを思い返し、心の中で再会を願った。そして、その思い出がゆっくりと遠くなる中、新たな物語が始まるのを感じた。

 

  つづく

 

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